[コメント] カーズ(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ピクサーのアニメは常にその映像技術で注目される。だが『カーズ』では、技術面よりもむしろ、映像と同じくらい丁寧なストーリー作りがあってこそ、映画としての質が上がっていると感じさせられた。
“予想通り”の爽快な結末に落ち着かせるために、徹底して伏線が張られているストーリー展開。まったく無駄がない。娯楽作品を作る上で当たり前のことを、ひとつひとつ丁寧にこなしている。
冒頭のレースシーンでは、スピード感ある映像で“楽しませ”つつ、マックィーンのキャラクター像をしっかりと描写。ラジエーター・スプリングでの日々を描く中盤も、マックィーンとそれぞれのキャラクターとの関係を、常に“楽しませ”ながらきっちり描く。同時に終盤へ繋がる伏線をきっちり残す。そういった部分がきちんとクライマックスにも通じ、総合的に“楽しませ”てもらえる。
当たり前のことをきっちりやらない作品も多い中、子供から大人まで誰もが満足するように徹底的に練り込まれているのだ。内容が難解にもなりすぎず、安易にもなりすぎず、という絶妙のバランスを保っている。そして、すべてにおいて観客が“楽しむ”ことがベースになっている。本当に、エンタテインメントとしての完成度がずば抜けている。
しかし、子供は「楽しかったぁ」で満足するところまでだが、大人は「楽しかったぁ」だけでは終われず、楽しいことに+αを求めたくなるもの…。この映画にはそういう要素もきっちり注入されているので、娯楽映画以上のレベルにまで到達しているのだ。
ラジエーター・スプリングが高速道路の開通により忘れられた街であり、そこに忘れられたレーサーが住んでいるという設定。そこにはどこか哀愁が漂っている。どこか、西部劇であったり、アメリカン・ニュー・シネマのロードムービーであったり、そういった匂いを感じさせてくれる。忘れられたチャンピオンであるハドソン・シャーロットの声優がポール・ニューマンである、ということもその点意味深なのだ。
映画のクライマックスで、マックィーンはクラッシュしてしまったキングに敬意を示して助けに行くが、ジョン・ラセターもこの映画によって古きアメリカ映画にしっかり敬意を示しているように思えた。こういうノスタルジックな要素は、大人がこの映画を観る上でのポイントになってくる。僕はこの映画を、消費社会的な匂いが強いシネコンでなく、カップホルダーもない古い劇場で観たことが逆に良かったと思えた。
またさらに、レースに絡んだ細かい部分も面白い。わからなくても映画を楽しめる作りだが、これは大人が楽しむように用意されている要素だと感じた。子供が見る場合だと、おそらくピット戦略のことなどそんなには考えないであろう。
だが、冒頭ではレースは個人競技だと考えるマックィーンが給油のみのストップで、ファイナルラップにタイヤが破裂したり、逆にクライマックスのレースでは、超速のタイヤ交換によって、セーフティーカーを交わして絶妙のタイミングでピットから出るなど、ピット戦略でのクルーの重要性を感じさせ、それをストーリー上の友情関係にうまくつなげている。レースは個人スポーツではなく、チームスポーツだという部分をしっかり反映させているので、適当なスピード狂映画とも感じないのだ。シューマッハの特別出演など、ニクいこともやってくれていて、楽しみを増やしている。
ありとあらゆるところに楽しみが詰まっている素晴らしい娯楽映画だ!
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