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[コメント] オズの魔法使(1939/米)

ある人間の創り出した空想世界の中へ、別の人間が入っていき、さらなる空想を繰り広げる。それがファンタジー。
ろびんますく

この映画は、子供の頃以来観ていない。

それでもイメージは色褪せない。黄色いレンガの道、花畑を走る4人(?)とトト、グリーン・ゴブリンの如く空を飛び廻る西の魔女、「エメラルドの都」。それらは、自分の頭の中に鮮明に焼き付いている。

いや、色褪せないというのは少し違うかもしれない。おそらく、今ぼくの頭に残っているイメージは、映画で観た映像そのものじゃなく、子供だった自分の想像力で補われたものなのだろう。今となっては、どの部分が実際に映画にあったもので、どの部分が映画を観た自分が創り出したものなのか、自分自身わからない。そして、正直、どちらでもいい。

人間は想像(創造)する。人間の想像力の可能性の前には、最先端のCG技術も(それを手助けすることはあっても)足元にも及ばない。ただ、いくら人間の想像力が無限だとしても、それを刺激する土台となる何かがなくてはならない。それは、小説であれ、映画であれ、ある人間の創った空想世界に他の人間を引き込む力だ。その力を持った作品こそが、本来の意味におけるfantasy(空想、想像)の名に値する。そして、その力さえあれば、あとは人間の想像力がいくらでも補ってくれる。

この映画は、そういったファンタジー作品の有する土台あるいはきっかけとしての自らの役割、そしてそれを補いうる人間の想像(創造)力の逞しさをよくわかっている。人間の想像力の頼もしさをリスペクトし、良い意味でそれに頼っている。ひとたび観客を映画の世界に引き込むことに成功しさえすれば、映像上必ずしも表現しきれない部分も、観客それぞれの頭の中においてはイメージが補われると期待している。

この映画を敢えて今から再び観てみたいとは特段思わない。ただ、今後何かの機会に観ることはあるかもしれない。そのときは、どう思うのだろうか。何しろ、映画は半世紀以上前の作品だし、自分はもう子供ではない。おそらく、突っ込みどころ満載であろうことは想像に難くないし、実際ケチをつけたりしながら観るのかもしれない。

だけど、本当は、そのときにも、この空想世界が有無を言わさず自分を招き入れ、その中で自分の想像力が色んなものを補ってくれたらいいなとは思う。この映画の製作者が観客に期待したように、ぼくも自分の想像力の可能性に期待したいから。

(評価:★4)

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