[コメント] フォレスト・ガンプ 一期一会(1994/米)
ゼメキスの小賢さに産み出されたガンプは人格ではなく記号に過ぎない。彼自身が現代アメリカの表の歴史であり、彼女が裏の歴史。しかし、そんな紋切型でいいのか?感情移入も問題提起も成されないまま綴られるクロニクルのどこがそんなに泣けるのか?
紋切りにされ分け隔てられた白と黒の記号の間に、性質上の交錯、混濁が最後まで起きなかった以上、たとえ物語上二人が結ばれたとしても、それはレトリックに過ぎない。
汚れた彼女を救い上げはしても、自身は最後まで汚れることがなかったガンプは、ともすれば、“表”のみを自画自賛し“裏”を隠蔽し続けたアメリカ国民の欺瞞の象徴でさえある。
この物語にあって、真に描かれるべきは二人が交わった末に生まれた化学変化の産物たる、その子供であったろう。彼こそがアメリカの灰色の現在そのものであるはずなのだから。
しかし、この映画は、白と黒を描きつつ、最後まで灰色を認知しなかった。
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