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[コメント] 秋刀魚の味(1962/日)

…なんじゃ、この不穏な映画は?
kiona

妙に明け透けに高度経済成長期を強調するカットの挿入、“もはや戦後ではない”を象徴する笠智衆の役所、男尊女卑的家父長制度が何処までも形骸化しつつなお自らを維持する中で、女性がその発言力を増大させつつ一方でその可能性を一定の限界内に留めるしかないという時代の悲哀全てが、“嫁入り”という瞬間に収斂されていく物語は、戦後日本における家族のあり方を云々かんぬんのどったらこったらで○×△□の…の..の。

えー、こんなん、表層でしかないです。

もうね、見てていたたまれないぐらいに、緊張します。

ああ、ゴジラよ、ゴジラ!今すぐ、この中に飛び込んできて、この世界をメチャメチャにしておくれ!

俺が見てて強く感じたのは、まさにこの一言。俺の如き凡俗の徒が最も逃れたい日常という怪獣が、ゴジラという非日常に助けを請いたくなるほど、画面の隅々にまでのたうち回っていて、窒息しそうになる。

日常が怪獣?…少なくとも何より不穏であることに間違いはない。普段は、そのことを無意識に遠ざけ、忘れ去ろうとしているだけ。この映画の怖さは、その忘れたいものを改めて見せつけ、意識させようとするところ。この映画の凄さは、その日常を映画という非日常の中に“捏造”するために、敢えて、“自然”ではなく、“不自然”を追求しているところ。

わざとらしいぐらいに冗長な、妙にギクシャクした会話、それを織りなす台詞のやりとりを、敢えて棒読みさせる。発話者をいちいち真正面からのショットでとらえながら。にもかかわらず、全ての台詞に、発話者達の本音を込めさせる。二重に不自然。しかし、それらの台詞全ては、相手に届くことなく宙に霧散していく。その帰結が、捏造される違和感を、確かなリアルに昇華してしまうのだ。…まさに神業。ほんとに意図してやってたのかと、自分で言ってて、疑いたくなる。

つまるところ、日常とは…行き違いであり、すれ違いであり、隔絶であり、孤独でありながら、同時にそれを認めまいとすること、或いは認めてしまうことへの尋常ならざる恐怖、その繰り返しなのだ。自然か、不自然かで言えば、不自然、すなわち共同幻想で成り立っている代物なのである。わけても家族は最もデリケートな共同幻想。だからこそ、この映画は、時代を越えて痛烈に迫ってくる。

もっとも、時代は二十一世紀、このまま核家族化や一家離散の傾向に拍車がかかれば、この映画が役目を終える時代も来るのかも知れない。

でも、俺は、この映画、とてもいたたまれない。そして、この映画に逃がして貰えない。何故なら、俺は、たとえ身を切るような想いをすることになったとしても、家族という共同幻想を捨てることができないから。

劇中、優しくも冷徹な笑みを湛えながら、飲めど、浴びれど、酔わなかった笠智衆がラストで泥酔する様と、それを叱りつける次男坊の暖かさに、震えを禁じ得なかった。

(評価:★5)

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