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[コメント] イングロリアス・バスターズ(2009/米=独)

見境のない行動が功を奏すこともあれば、練りに練った計画がおしゃかになることもある。この世界には人智のおよばぬ力が介在していて、それが我々の運命の総仕上げをしてくれる――その前では、誰がどんな計画をどれほど煮つめたところで、荒削りが関の山だ。(ハムレット)
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 フランス人の酪農家のお父さんは、度胸とそれに劣らぬスマートな対応でSSの追及をかわすかに見えたが、結局はランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)の話術におどらされていただけだった。

 しかしそのランダも、実は誰よりも捕らえるべきであったショシャナ(メラニー・ロラン)を、そんな恐ろしい女とは知らず、ミスミス逃がしてしまう。

 イギリス軍司令官(マイク・マイヤーズ)が映画好きだからという理由でせっかく 起用したヒコックス中尉(ミヒャエル・ファスビンダー)は、その知識を役立てる場もないまま、思わぬ敵との遭遇における思わぬ所作が原因で討ち死にしてしまう。

 ナチの高官殺しでお尋ね者のヒューゴ軍曹(ティル・シュヴァイガ―)は、あれだけナチに顔を売ってきたはずなのに、彼らに認職されないまま撃たれて死んでしまう。

 息子のために死ぬわけにいかなかった下士官マックスは、はからずも撃ち合いを制し、レイン中尉(ブラッド・ピット)との交渉も互角にこなして見せるが、女優の二重スパイ(ダイアン・クルーガー)に撃ち殺されてしまう。

 彼女がレイン中尉と一度は台無しになった計画をやっつけで展開しようとした「イタリア語ならドイツ人の苦手」作戦は、ランダ大佐のペラペラのイタリア語にあっさり見破られてしまう。

 あまつさえ主役であるはずのレインもランダも、そのせいで早々に舞台であるはずの映画館から退場してしまい、ショシャナ=ミミューのリべンジは復讐すべきカタキを欠いたまま進行する。

 結局ショシャナが焚いた復讐の業火は、彼女にとっての本当のカタキであるランダにはとどかない。

 ランダはショシャナをそれと認識しないまま、いち早くナチス・ドイツを売り渡しての亡命をくわだて、結果まんまと生き残るが、最後はレインの手により例の刻印を刻まれる羽目に。

 しかし、もっとたまげたことには、主役であるはずのアルド・レインが、ブラッド・ピット様がこの物語で“やった事”というのが、その鍵十字の根性焼きだけ…

 そのかたわらで、この大いなる茶番劇に幕引きならぬ幕燃やしをほどこしたのは、ヒロインのヒモみたいな黒人と、どう見ても野蛮な単細胞にしか見えないユダヤの熊=ドニー (イーライ・ロス)だったという徹底ぶり……

 もはや総括するまでもないが、誰もが意図を持って拳銃に弾を込めるのに、放たれた弾丸は一発たりとも弾を込めた者が意図した標的に当たらず、逆に思わぬ兆弾が思ってもみなかったところに当たってしまう。

 その限りにあって、バスターズも連合軍もナチもユダヤもすべてが等価に見えてくる。

 こんなにも荒唐無稽でバカバカしくて、なのに、なんてキレイな帰着を見せる脚本か。

 わけても見惚れてしまうのは、ヒロインの顛末だ。

 数百の敵兵を射殺した『国民の誇り』たるスナイパー(ダニエル・ブリュール)の、どこにでもいる青年たる苦悩がヒロインの(旦那さえ復讐の一兵卒にしてはばからない)心に一切とどかないというのも美しいのだが……

 でもヒロインは容赦なく青年を撃ちながら、ふとスクリーンに目をやり、現実の彼には一切見出せなかった彼の本質を、皮肉にも倒れた彼をさしおいて映写される映画のなかで演技をする彼に見出してしまう。

 そして彼女は、ほんの一瞬の仏心に突き動かされ、慈愛の手で現実の彼に触れようとして、皮肉にも彼の憎しみに撃たれて死んでしまう。

 その瞬間の音楽――

 あるいは、この戦争映画のなかで戦争映画らしい戦闘シーンが出てくるのは、この劇中劇というか、戦争映画内戦争映画のなかだけというのもこのシーンに花を添えている気がしてならないのだが――

 この、タランティーノがほんの一瞬だけ、でも、ここぞというシチュエーションで見せるセンチメンタリズムがとても好きだ。

 ところで、こんなにも現実や史実にとらわれない彼のキャラクターたちは、この上なく饒舌だ。彼らによる会話劇は、いつもどこかで芝居(演劇)を思わせる。あるいは章立てや格シーンの尺なんて、もろ幕のそれだ。

 芝居の会話が台詞のみによって世界観を構築するように、この映画にあってもキャラたちの会話が行軍や戦闘シーンに代わって物語の背景や舞台や状況を綴っていく。

 タランティーノは、映画的な映像の先行を前提としたプロットの転回を優先させる省略を嫌い、場面を構築する情報展開を台詞にたより、しかもそれのみに終始せず、その場面での人間ドラマをあますところなく見せようとするから、その分台詞はグラマラスになる。

 それらは映像のリアリティを代行しつつ、芝居の単位でドラマを成し遂げているのであって、無用の長物ではないのだ。牛乳もケーキもキングコングもすべて必要な余分なのだ。

 ただ……

 リアリズムを蹴っ飛ばして思うがままのドラマを展開するのは大歓迎なのだけれども、あまりにもキャラに背景というか、履歴が感じられなかった点には、自分も一抹の空腹感を覚えた。これは、彼の映画に対して初めて抱いた感覚だ。

 キャラが記号の域を出ないことが狙いであるとは理解しつつも、彼女の復讐には記号以上のものを見たかったし、バスターズやヒトラーに、これよりも荒唐無稽な映画『キル・ビル』に出てきたもっとリアルでないキャラたち――ベアトリクスやビルたちに感じた嘘なりの本物感を感じることができなかったのは残念だった。

 やっぱ愚連隊は西へ向かわんと――そうですよね、関沢先生!

(評価:★4)

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