[コメント] トゥルー・グリット(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
“萌え”ってもう死語と思いますが、もっとむかしに死に絶えて久しい“ハードボイルド”をコーエン兄弟が意外と素直に愛していることは何となく知っている。この兄弟、淡々と撮っているようでそうでもないようで、そうと見せかけて意外と手を抜くことがあることも何となく知っている気がしている。
たとえば、一向が手づまりになったのに、翌朝、少女が偶然かたきと鉢合わせちゃうとか、おもしろい皮肉なようで単なる手抜きでもあるのだ。それから、毒蛇というモチーフに大した因果=伏線がないのはどうにも唐突で、これも手抜きだ。
『ノー・カントリー』の息詰まる密度にくらべても、手抜き映画としか思えない。ただ手をぬいちゃっても、やりたいことをやっている印象もある。
クライマックスの決闘。すごいアッサリ。実はここは本当のクライマックスではなくて、本当のクライマックスは少女が毒蛇にやられてからだ。
まずは、夜のファンタスティックな美しさ!
それを背景に展開されるこのハードボイルド・フェティシズムをちょっと斜めから解説すると、こういうことになる。
大人顔負けの気丈さと知恵で修羅場をかいくぐってきた少女、鋼鉄の鎧を着ているかに見えた少女が、瀕死になり、ぐったりとすることで本当は少女であることをさらけだす。目の当たりにした荒くれの酔いどれが、殺された父の代わりを演じざるをえなくなる。
酔いどれは彼女の愛馬を駆る。その足がへし折れるまで駆る。馬の痛みが彼女に伝わり、彼女が馬を想って悲鳴をあげても、なお駆る。そして、倒れた馬があとは狼の餌食になるしかないことを知っている荒くれは、躊躇なく馬を撃ち殺す。それがどんなに少女の心にとってつらいことであるか、それをやったらどれほど自分が少女から忌み嫌われるか、わかっていながら、それでも男は馬を撃ち、嫌悪をあらわにする少女をかつぎあげ、その憎しみを背中で受け止めながら、老体に鞭をうって走る。自分が死にかけながら走って、そうして、なんとか少女の命をすくうと、彼女が息を吹き返すころにはもうあと白波と消えている。
これ、観る人が観ると、ハードボイルドというか、萌えなんですよね…
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。