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[コメント] パピヨン(1973/米=仏)

大脱走』が娯楽に彩られた純然たる映画なら、『パピヨン』は劇的にリアルなRPG
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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 食える物は食えるという事。五歩進めるという事。空は広いという事。人は神じゃないという事。生きているから抱き合えるという事。死んでも諦められないものがあるという事。…世界で最も非生産的な場所に閉じこめられた男に、かくも多きを思い出させられるとは。

 『大脱走』が多くの娯楽要素を持ちながら、しかし群像劇であることにより、観客をして客観的たらしめる純然たる映画だったとするなら、この映画の時間の流れ方はロールプレイングゲームのそれに近かったように思う。ホフマンをあくまで脇に据え、ひたすらマックィーンに張り付く演出はまさにRPG。『大脱走』が敢えて避けたようなリアルな描写がこれでもかと続くが、しかし、それらは、リアリズムの作風を形成するためというよりも、観客をして傍観させることに飽きたらず、疑似体験を強要するための要素としてそこにあった。終始、この世で最も酷いその場所を、見せられているというよりは、冒険させられているような感覚であった。

 そして、吹き矢にやられたパピヨンが川に落ちた瞬間、上手く言えないが、映画は一旦終わってしまったような気がした。そこからは後は、喩えるならRPGに時折出てくる幻想シーンの中にいるような、不思議な浮遊感に包まれた。決して、悪い意味ではないが、別の映画となってしまったような感覚。あのタヒチっぽい所で目覚めた後パピヨンは今までと全く正反対の空間に置かれるが、奇妙なことだが、自分は、それ以降ずっとこの夢はいつ覚めてしまうのだろうと錯覚しながら見ていた。前半の独房とうってかわったあの島の美しさ。そこにいるパピヨンもドガも、果敢な物語の主人公から一転、不思議の島の住人といった風情となってしまっていた。

 脱走に失敗し、さらに五年の独房暮らしを経たパピヨンは明らかに変わってしまっていた。もはや勇者の体力も気力もなくなってしまっていた。そんな骨抜きにされた勇者に待っていたのは、夢のように美しい島における臨終までの夢のような時間と、そして同じように骨抜きにされたかつての友。だが、そこでパピヨンは気づいてしまう。同じように夢に飲まれてしまっていた友と再会したことで、気づいてしまう、そこが夢に過ぎないということに、自分も夢に飲まれてしまっていたということに、自分にはやるべきことがあったということに。

 「行かなきゃ…。」

 パピヨンに触発されドガも我に返る。だが、ドガは、夢のなかでそのまま果てることを選ぶ。袂を分けた二人、勇者に戻った男が行ってしまうのをいつまでも見つめる勇者に戻れなかった男の笑顔が忘れられない。

(評価:★5)

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