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[コメント] カッコーの巣の上で(1975/米)

To go, or not to go - that is the question; …この時代を超えうる名作を、そろそろ反体制という鋳型から外してミない?
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 初めて観たとき、クライマックスのお祭り騒ぎのシーンで猛烈にじれた。「バカ野郎!バカ騒ぎする暇があったら、とっとと逃げんかい!」と、そう叫びながら観ていた。

 でも、二度目の観賞では、マクマーフィーの優柔不断が痛いほど理解できた。

 自分は、この物語の中に単純な対立構図を見出す気にはなれない。何故なら、そこより他に自分の居場所がないという点で、全ての登場人物達が共通していたからだ。文句を垂れながら自主入院をやめない他の患者達。そう、彼らの多くは、決して強制されてそこにいるわけではない。或いは、マクマーフィーにそそのかされ、どんちゃん騒ぎの引き金を引いてしまった看守。彼はヒステリックにこう叫んだ。「俺の仕事場を、どうしてくれるんだ!」と。抑圧する側と見てしまうと忘れそうになるが、職員だって、ナチスじゃない。どこにでもいる労働者なのだ。連中にとっては、職業選択の自由なんて建て前に過ぎない。そこを追われれば路頭に迷う事が目に見えている。患者達と同じく、彼らにとっても、そこが掛け替えのない自分の居場所なのだ。とすれば、職員達は、患者達に比べて、どれほど自由だったと言えるだろう。

 或いは、婦長にとっても、そう。彼女の傾向は、全ての現場指揮者や経営者、管理職の人々が陥るかもしれないところのものなのだと感じる。結果的に彼女を多くの過ちへと駆り立てた、彼女の患者に対する過剰な支配欲は、その場所への現実的で現場的な責任感の裏返しだったのだから。

 もちろん、マクマーフィーだって例外じゃない。彼はそこに送り込まれたからこそヒーローになれた。アイドルになれた。だが、一旦外に出てしまえば、彼は普通以下の者として扱われることになる。いや、居場所があるならまだいいが、もし逃げたとして、逃げた先に彼の居場所があっただろうか?あれば、こんな所に送り込まれる羽目にはならなかったのではなかったか?

 チーフがマクマーフィーにこう言った。

 「親父は追い詰められた、今のあんたのように。」

 社会からそこに送り込まれ、自身はそこから抜け出したいと欲するが、さりとて外に居場所はない。彼は、この意味で、追い込まれていたのだ。

 自分には、マクマーフィーがそれを自覚していたように見えた。行かなきゃならないのに、行くところなんかない。死ぬほど抜け出したいのに、いざ抜け出そうとすると名残惜しくなる。何故なら、自分を求めてくれる連中は、そこにしかいないのだから。ああ、誰ぞ、後ろ髪を引いて俺を留めてくれはしまいか。…そんな潜在的な期待が、あんなバカ騒ぎに繋がったのではなかったか?

 そして、ビリーが後ろ髪を引いてくれた。歓喜の余り、どうしうようもなく悠長な行動に出るマクマーフィー。彼をキャンディー付きで寝室に押し込めるや、ゆったりと腰掛け、至極満足げな表情を浮かべる。

 「なるようになれ…」

 その時、彼は、自身のジレンマ、アンビバレントな感情を運命に委ねてしまったように見えた。それが、諦めであり、逃げであり、大失敗でしかないことをなかば予期しつつ、後にできなかったのだと思う。

 こうして、“輝ける失敗”は起きた。そう、それは“輝ける失敗”だった。躊躇いというマクマーフィーの過ち、それを目にし痛感することで、チーフは羽ばたく勇気を持てたのだから。

(評価:★5)

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