[コメント] フランケンシュタイン対地底怪獣(1965/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
昨日たまたま観た番組が『バーティカル・リミット』のVFXシーンのメイキングを紹介し、誉めそやしていた。あの雪崩はいかにして撮ったのか?
答えは“雪崩を撮った”ではなく、“雪崩を起こした”である。
拍手した。そして思った。「バカか!」
安全確認は万全だったのだろう。許可を取って、雪山でダイナマイトを爆発させたのだろう。でも、雪山に完璧な安全なんてない。許可云々ではなく、一個の生き物として自然をなめ過ぎだ。これを観て、『タイタニック』の撮影がメキシコ湾を汚したというニュースを思い出した。切に問いたい。何でそこまでする必要がある? 迫力のためなら、何だろうと犠牲にする、それが映画なのか?
この『フラバラ』で円谷が撮った山火事、その特撮映像は素晴らしい。“山火事を撮る”なら、こうするべきだと切に思う。
撮影所内の精巧なミニチュアに立ち込める火と煙、その中で必死に演技するメイクされた役者(フランケンシュタイン)ときぐるみ俳優(バラゴン)。別撮りの本編俳優たちは、表情に赤いライティングが当てられ、あたかも本物の山火事が目の前に起きているように表情を作るだけだが、そもそもアクション俳優でもない役者の仕事はそれが全てであるはずだ。後はそれらをいかに編集するかの腕にかかってくる。映画のシーンとして、これら以上の何が必要だろう?
いつものことながら、撮影所内での火薬と火の使用は危険極まるものだったろう。しかし、その危険が関係者以外の誰かに及ぶことはない。映画を撮るという身勝手な行為に付き纏う制約と限界から目を逸らすことなく、その中で最良のものを追求し答えを捻り出してみせる。それが特撮なのだ。誰がやったって同じものになったであろう現実の雪崩に比べ、この特撮の山火事は円谷のこの映画でしか観れない代物なのだ。
特撮シーンはそれ自体のためにあるのではなく、あくまで本編の物語のためにある。
東宝版フランケンシュタインの怪物は、キングコング以上のオリジナリティを打ち出せている。こちらのフランケンシュタインは戦争孤児の暗喩だ。そのミナシゴが周りにもてあまされ、愛する人にももてあまされ、それでも自らのアイデンティティを確立しようともがき、果てに悲しい最後を迎える。この映画には、そんな物語がある。
山火事、突然の噴火、地盤沈下、或いはバラゴンにリアリズムの整合性はないのだが、フランケンシュタインの物語の文脈を考えたら、脈絡のないモチーフは美しくつながって見える。
DVDの日本公開版がお薦めです。甘崎庵さんも言っておられるとおりの余計なものが、海外版には入っています。
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