コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 仄暗い水の底から(2001/日)

エピローグが無かったら、五点だ。というわけで、俺式エンディング。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







エレベーターから溢れ出してきた汚水の洪水をひっ被った郁子が、もんどり打ちながら、叫ぶ。「ママ―――――!!!!!」……此処でフェイドアウト。

十年後、同マンションには、今も変わらぬ人の営みがある。無論、見知らぬ母子もいる。父親と連れだってやって来た郁子は、何も知らずに平穏な生活を送っている彼らを過ぎり、屋上に向かう。此処で、十年前のあの日の顛末を回想する。

駆けつけた父親の傍で、郁子は警察の捜索を見守る。郁子の指摘により、屋上の貯水タンクの中から、淑美の死体と彼女に抱かれた美津子の腐乱死体が発見される。それを見た郁子は泣きながら、呟く。「ママがあの子を助けたの……」確かに説明の付かない水の量に、父親もぼんやり娘の話を信じる気になる。

再び、現在。郁子、貯水タンクに花を添える。其処で、ジ・エンド。

…………………………

さて、所感。

この世にいる母親が理想的な母親ばかりなら、世の中もっとましである。強い母親がいて、脆い母親がいて、悪しき母親がいる。取りも直さず、愛情を注がれ守りきって貰える子供がいて、愛情は注がれるが守りきって貰えない子供がいて、愛情も注がれず守っても貰えない子供がいる。この映画には、この世界の縮図と連鎖がある。悪しき母親に育てられた子供は、強き母親たらんとするも、脆き母親にしかなれず。そして、そんな脆き母と愛情は注がれるが守りきって貰えない子が、脆さ故に、愛情も注がれず守っても貰えなかった子供により取り憑かれる。

この設定に、自分は、動かしがたい必然性を感じた。淑美の母親の様な悪しき母親も、美津子のような浮かばれない子供も、厳然として存在する。そんな現実の激痛が、物語の根底にある。そして、美津子は、激痛の象徴としてそこにいた。それが、淑美には、痛いほど解った。だからこそ、彼女を前に、一人の母親ではいられなくなった。たとえ、実の娘に別れを告げることになったとしても、美津子を拒絶しては、淑美は母親でいられなくなる。拒絶すれば、自分を放置した母親と同じになってしまうからだ。このように、このシークエンスが表現していたものは、個人のトラウマではなく、一種普遍的な母性だったと感じる。そして、そう想えばこそ、母親がスケープゴートとなるのを見送ることしかできなかった娘の悲痛、今度は郁子が放置される矛盾に、張り裂けそうになった。それは、やりきれない現実に対する物語の慟哭とさえ聞こえた。

前述したとおり、エピローグがこのクライマックスの意義を蔑ろにしかねないものだったので――淑美の死は現実のそれでありさえすれば良かった。何故なら、郁子はそれで十分守られたのだ――、五点はつけられないが、それ以前は、脚本に隙もなく、演出も極めて誠実かつ堅実、恐怖も十分味わった。黒木瞳にも、取り立てて文句はない。誇っていい作品だ。正直言って、平均点の低さに疑問を感じる。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (13 人)FOX くたー[*] tkcrows[*] NAMIhichi[*] 空イグアナ ぱーこ[*] mimiうさぎ[*] ピロちゃんきゅ〜[*] ディレクター らいてふ[*] けにろん[*] ina torinoshield[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。