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[コメント] ミスティック・リバー(2003/米)

と言うか、俺があの野郎を殴りたかった。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 デイブ(ロビンス)の(幼少期の性的虐待によるトラウマがもたらした)殺人事件と、ジミー(ペン)の娘ケイティが殺された事件の間に何ら有機的な繋がりが見出せなかった時点で、このプロットは嘘だと思った。リアリズムで考えたら、この「誤解」は天文学的な確立の不幸であるとしか言いようがなく、感情移入のしようがなかった。

 そうして物語に入る取っ掛かりさえつかめなかった者から言わせてもらえば、前半のペンの演技は明らかに空回っており、ロビンスの演技にも深みが感じられなかった。最初のジミーとケイティの絡みも淡泊なら、デイブのトラウマはステレオタイプ。この2点を筆頭に、あらゆる場面でミステリーのギミックが、それ自体が大したものでないにもかかわらず、キャラクターの造型とドラマの醸成を尽く中途半端なものに貶めていた。

 そもそも脚本の心臓がどこにあったかと言えば、「あの時、あの場所で連れ去られたこと、連れ去られなかったことで分岐してしまった一人と二人の運命、連れ去られないで済みはしたが別の形で道を誤り歪んでしまった一人と、道を踏み外さずに来たが今現在踏み外そうとしている一人の運命」――このグラデーションと、かつて殺した男の息子により娘が殺された、罪の意識を感じ仕送りしてやっていたにもかかわらず、思いは届かずに――この因果応報にあった(※1)。そう考えればこそ、ショーン(ベーコン)がジミーの取り返しのつかない過ちを観ながら、自分は出ていった妻に対して謝った――このシーンは必要だったと思う。(※2)

 しかし、偶然あのような立場に立たされたデイブの悲劇を本気で綴ろうと思うなら、それを観客に隠すのは逃げじゃなかろうか? それが本当に真に迫るものであるならば、ミステリー仕立てにしなくたって観客は付いてくるはずだ。

 或いは、設定もどこか活かされ切れていない。幼なじみという設定の懐を考えたら、疎遠になっていたはずの幼なじみたちの心情があの頃に引き戻され、もっとガッツンガッツンぶつかりあうドラマを期待してしまう。

 たとえば、デイブがジミーにより虚偽の自白を強要されるシーン。致命的につまらないと思ったのは、ジミーがデイブのトラウマを何ら理解していない上で、凶行に及ぼうとしている点だった。デイブの苦しみをジミーが知らないから、逆説的に哀しい? ……自分は、互いにどこまでも理解し合いつつ、それでも殺し、殺される立場に立たされた両者の苦悩と葛藤、友情と憎しみが観たかった。そして、あの朝のシーンでは、ショーンにジミーを殴らせたかった。血だるまになるまで殴らせたかった。と言うか、俺があの野郎を殴りたかった。

 そう思わせられるだけのヘルゲランドの筆力とイーストウッドの演出力はあったということか?

※1 考えようによっては『踊る大捜査線』並みの犯人の動機に、本当は肩すかしを喰った。それで、聾唖息子の復讐でも良かったよなあ? と妹に言ったら、それじゃあベタだし、血生臭すぎるだろと言われた。

※2 と言っても、そのおかげで、自分には、あのラストが「ショーンがジミーの罪を問う役目よりも自分の生活を守っちまった」ように見えてしまった。何にせよ、非常にフラストレーションの溜まる座りの悪いラストだった。

(評価:★3)

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