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[コメント] 北の零年(2004/日)

観ていない方に。小百合ファンの方は『霧の子午線』の、そうでない方は『デビルマン』の那須真知子が脚本を手がけていることを覚悟して観に行くかどうか決定なさってください。彼女に限って「期待」を裏切ることは万にひとつもありません。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







サユリストの端くれとしては4点はせめてつけるぐらいのことはできよう、と期待した俺が馬鹿だったのだ。監督が脚本のアラを補ってくれるだろう、という期待はものの見事に打ち砕かれた。

強調すべきことは、異常な出来事はつねに突然勃発し、前触れなどということはない、ということだ。そして珍しく前兆のある時はそのきざしはつねに奇妙なカタチをとる。そこにドラマとしての必然などというものは断じて、針の先ほども存在しない。

移民団の武士階級の者たちはいずれも安穏とした生活を過ごしてきた。ゆえに、婦人のひとりが言うように、農作業などで汗を流し、骨を折ることは望まない。だが、小百合が鍬を振り上げ、開墾の第一歩に進み出ようとした途端に一人、またひとりと武家の婦人たちは鍬をとり、農作業を始める。これは普通、開拓団のリーダー夫人たる小百合の勇気ある行動にこころを動かされてのことだと観るシーンだろう。しかし、このシーンが全ての不自然さの前兆となるのである。

稲田の殿様を待ちうける家臣たちは懸命にその御殿たる建物を築き上げ、ついに現われた殿を歓迎するが、殿はあっさり廃藩置県が決定され、おまえたちとともにここにはいられない、ときびすを返す。この出来事が皆を呆然とさせてしばらくすると、いきなり「ええじゃないか」の大合唱が起こって御殿の扉がなぎ倒され、踊る領民たちが広場を席捲する。なんじゃこりゃ。しかし、物語はそのまま進んでいくのだ。さらに言えば、渡辺謙がちょん髷を切り落とすのに続いてそこにいる侍全員が同じことをしはじめる。早くもリーダーに盲従する有象無象の姿はワンパターンの様相を呈してきた。

移民団のなかに紛れ込んだ薬売りがいる。この男香川照之はやがて小役人にまで出世し、この土地を牛耳ることになるのだが、そのことについての予言は極めて異常なかたちで為される。病気に冒された石田ゆり子の息子が、狐でも憑いたかのような口調で彼を指差し、言うのだ。「この男は火の玉を体に宿している」…なんでここで神がかりになるのか、説明はない。

上の例などは些細な事だが、多くの人が彼の存在に注目するであろう看板役者のひとり、渡辺謙の扱いはひどい。開拓団のリーダーとして人望を集め、つねに人の先に立って行動してきた彼が農業技術を学ぶべく札幌に向かったまま音信不通になる。おかげで小百合は夫は裏切り者だと責められ、娘も苛めに遭う。だがその時、つねに小百合は否定し、夫はそんな男ではないと言ってきた。渡辺と見知らぬ女が仲睦まじく馬車に乗っていた、と告げられた時も嘘だと否定した…。こういう場合、渡辺は誤解されるような行動をとっていたが、実は皆のことを思っていた、とでもするのが定石だろう。しかし斬新な脚本家たる那須氏は、このまま渡辺を悪者で引っ張ってしまう。せいぜい政府に召し上げるための馬が逃がされたことを見逃させるだけだ。このあたり、小百合を独り立ちできる女性として描き、夫の力で幸福を掴もうとする石田ゆり子へのアンチテーゼとでもしたつもりか?しかし夫が女性に救われて今の道に転じたように、小百合もまた夫を捜しに旅立ち、救われて農園に牧畜をもたらされたのだ。このあたりの偶然までも考えて書いているようには見えない。小百合に較べて渡辺が弱い男だったと書くつもりだったのか? ……いや、このへんはちょっと感情的になり過ぎたようだ。お許し願いたい。

おかしな点はまだまだある。見たところ米作ではほとんど収穫を得ていないのに(あまつさえイナゴの大集団の襲来すら受けている!)、領民が飢餓に苦しんでいるような描写は全くないこと。まだ若い石原さとみはともかく、長い人生のなかで乗馬に親しんだことなどまずなかった小百合(もちろん、志乃としてだ)があそこまで立派に馬を扱えるようになったこと。アイヌの老人のかたこと日本語が「インディアン、嘘つかない」式の紋切り型省略法になっていること(これについては深く突っ込まないが、北海道先住民としてのアイヌを滅び行く民族として敢えて傍観させ、その上で日本民族の「開拓」を好意的に描くなどという視点からのライティングは、アメリカでも今時やらない酷く独善的な描写である)。

しかし、最大のイベントはラストにある。渡辺に馬を供出せよと迫られた小百合および領民が一触即発状態に陥ったとき、謎のアイヌ装束男豊川悦司は反政府分子としての正体を明らかにし、馬を逃がす。ここで領民を取り囲んでいた兵士のひとりは豊川に発砲するが、小百合はその弾をおのれの肩で受けるのだ。これすら最近見ない離れ技であるのに、揉め事が一段落してまずいの一番に小百合がやることは、鍬を持って畑を耕すことなのだ。肩に痛みを感じもせず。何の意味がある行動なんだ、それは?そして領民たち、石田ゆり子までもがそれにならう。何だか不気味なくらいの一糸乱れぬ行為である。そして捕えられた豊川について小百合は言う、きっといつか帰ってきてくれるわ、と。おいおい、そんな呑気な身の上じゃないから変装してアイヌと行動を共にしているんだろうが!

いちいち腹立たしいイベントばかりだったのでついムキになってしまった。ともあれ、金輪際那須真知子は信用する気はない。行定監督も大作に燃えていただろうに、可哀想になってくる。吉永小百合にとっても、もっと脚本家を選んで欲しい。こんな作品で女優人生を汚しているようでは、目標とされている『ドライビング・ミス・デイジー』の主演女優ジェシカ・タンディのような晩年を送れませんよ、と忠告したい。マジで!

豊川悦司がいい演技をしていたこと、石原さとみが期待に背かぬ成長をしていることで、プラス1。

(評価:★2)

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