[コメント] 電車男(2005/日)
作品としては爽やかなつくりなのだけれど、これは「総ての人に救済をもたらす物語」ではなく、「オタクの例外のひとりが幸福を手にする物語」だと俺は思うのだが。電車男の周囲は、オタク仲間の死屍累々だったのが現実であった筈。ここに物語の偽善が割り込む。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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実際、これほど映画にしづらい作品もなかっただろう。それを破綻させる事もなくストーリーに纏め上げた手腕は賞讃に価する。
だが、主人公を励ます仲間たちをあえて5、6人に絞ったことが、勝因でもあり敗因でもあったと俺は見る。確かに主人公をアドバイスする5、6人を決定することで、コメントの裏の見えない顔が見え、キャラクターが浮き出てはくる。だが、それがラストの甘さを生む。電車男を救おうとして反対に救われてゆく彼らを見ていると、「世の中そんなに甘いもんじゃないぜ」と言いたくなる。
大抵の女性はオタク嫌いだし、ラストで元のオタクファッションに戻った電車男を抱きしめるエルメスよりは、彼女にときめいたお陰で自分のために小奇麗に変わってゆく「努力をしている」電車男に嬉しくなるエルメスのほうに、リアリティが生じるのは当然ではないか。やはり恋は人間を美しく変えるものだろう(人為的な意味でも)。そのへんを見誤ると、電車男のせいで自分の周囲と馴染んでゆくアドバイザーたちのように、およそ現実味のない存在になってしまう。オタクの総てがアウトサイダーだと言うつもりはないが、こんな映画を観ても全然変わらない存在がすなわちオタクのような気がするのだが。
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