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[コメント] 機動戦士ΖガンダムII 恋人たち(2005/日)

必ずや5点をつける、という心づもりだった自分が、迷ったすえ1点減じることをお許し願いたい。富野監督は、「愛」に憑かれた道化だ。それを嘲う権利は、いまこのシリーズを途中下車した者にしか与えられないけれど。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







もちろん、「愛」とは『ヤマト』などで描かれるアガペに近いモノではない。我々に程近いエロスである。

今回はエロスの匂いが、メイン、ゲストの区別なくほとんどの主要キャラに存分に纏わりついていた。軽口のなかにさえ、幾度ピンク・ジョークが挟まれたことだろうか。特に女性が主導権を握る恋愛においてそれは顕著だ。フォウ、ベルトーチカ、レコア、マウアー、サラ(これは例外的だが)。このうちフォウは、のちにカミーユが主格になろうと努力すること、そしてセックスの絡んでいない淡い恋であったことからここからは除外される。そして、男の身勝手な愛し方を受け入れるに迷うエマ、20代にして達観しきっているミライもここにはあえてカテゴライズしない。あとの女たちは、みな恋に積極的で、その使命さえもエロスのために捨てる。

富野監督における理想的な女性像とはこれなのだろう。だが、その女性観は歪んでいびつだ。

ベルトーチカやマウアー(彼女が17歳だという新設定は信じられないし、ジェリド同様、作品のなかで軽く扱われるのみなのはもっと納得がいかない)が男を叱咤し、育てることに命を賭けるのはまだしも健康的なのだが、デモーニッシュな魅力をもち、女を惹きつけてやまないという役割のシロッコ(大佐に昇格させたのは頷けるが)が、きわめて陳腐な言葉であそこまでにサラを魅了し、なおかつ女扱いの下手なシャアを見限った、ろくな知識ももたらされてはいないレコア(彼女はTVとは違い、シロッコに逢っていない!)の好奇心をくすぐるのが納得できないのだ。シロッコには健康な上昇志向も、決めた女を愛しぬく愛らしさもないのに。このあたりの、相も変らぬマイナスの富野節は残念ながら健在であった。

カミーユとフォウの在りようが、そんなストーリーの歪みを覆い隠してくれていることは疑うべくもないだろう。ふたりの愛はお互いを高めあう愛であり、なおかつTV版でのしつこい再会を丁寧かつ大胆に切り取った、独立したエピソードとして成功した一断面だ。そのあとのファとの絡みは寂しさを紛らわしあっているのだと納得できるし、ファが1stのフラウ・ボゥのような「小さなお母さん」キャラの性格を帯びはじめるのも、エロスの匂いでむせ返るようなアーガマの空気循環役として必要なことなのだろう。

だが、ここでステップアップした筈のカミーユが、間もあけずに裏切ってエウーゴに逃げてきたというサラの言葉にいちいち疑いを挟むのは、TVでは納得できても、映画では唐突すぎてドラマの不出来のように見えてしまう。映画でのシロッコの情報のあまりの少なさが、サラに対するカミーユの不信と、そのままにアーガマを裏切る彼女の行動を安っぽく見せてしまうのだ。

やはり、女ばかりを描いて「素晴らしい男」をちっとも描こうとしない富野の過ちはここに明確になる。戦場に女が出てくるのはちっとも構わないが、それに匹敵する男が出てこないことにはストーリーは消化不良を起こしてしまうのだ。このあたり、富野の単なる助平根性では片付けられない彼自身の歪みを感じさせずにはおかない。

そこから生み出されるものも立派なドラマだが、手放しで歓迎できないのが、愛するガンダム正史の一編に5点をつけられない理由である。…とか言いながら、最後まで観る(それも絶対に自腹で!)覚悟は固めているんだけどね。誰が途中脱落などするものか。新約ラストを見て、腹の底からこみ上げてくる感情を味わうまでは。それが怒りだろうと、笑いだろうと、あるいは感動だろうと!

(評価:★4)

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