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[コメント] SAYURI(2005/米)

今さら、アメリカ資本で「紫のバラの人」もないものだ、と思うのだが。失笑を誘うシーンは少ないが、この時代に和風シンデレラ・ストーリーに惹かれるものもまたない。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







全体的に考証はよくできているのだろう、最初からずっと違和感はない。貧しい漁夫の娘が花街に連れてこられ、悲惨な少女時代のなかにも自分に優しくしてくれる理想の男性との邂逅を得、懸命に毎日を生きる姿は一途で好ましく見える。大後寿々花は子役として着々と上手くなっているのが手にとるように判る。

だが、主役がチャン・ツィイーに代わってからは「もともと彼女、綺麗な上に器用なひとだからなぁ。これ位できて当り前か」との気持ちにさせられてしまうのだ。日本舞踊など、死ぬ気で勉強しただろうに、と思いつつ、それが当り前に見えてしまうのは、やはり彼女の「器用貧乏症」ゆえか。彼女におしろい姿よりすっぴんの顔が似合うのも、彼女が美女である以上、それ以上の衒いも何も必要もない、といったことなのだろう。

余談になるが、歳のいった王子さまである渡辺謙も、成長した「さゆり」にはさほど関心がない素振りのわりには、よく「かき氷」のことなど覚えていたものだ。それ以上に、ふけてゆかないあたりにも不気味なものを感じる。

総じて言ってしまえば、何故いま芸者なのか?ということなのだが。サムライはやったから今度はゲイシャ、というほど安易な理由ではないとは思うが、結局『カラーパープル』の黒人女性には現代的なテーマを見出しえたスピルバーグも、(監督じゃないけど)日本女性には古典的な博物館級の美学しか求めない程度の男だったということか。

まあ、ファンタジーとしての日本風景には軽い意味での面白味はあったが、そこに感興を誘う深みはまったくなかった、というのが正直なところなのである。

(評価:★2)

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