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[コメント] キング・コング(2005/ニュージーランド=米)

いい加減コングは33年度版の呪縛から解き放たれてもいいと俺は考える。神話は短くて単純であるがゆえに不滅とされるのだが、その時々の時代性を盛り込んだ外典のほうが、少なくとも現代を生きている俺には価値がある。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







例えばヒロインである。旧作ではギャーギャー喚くだけの鬱陶しい女優に過ぎなかった。彼女は文芸派演劇作家を尊敬し、出たくない作品にはきっぱりとダメを出す現代的な女優となった。

例えばヒーローである。彼は旧作の筋肉脳味噌男ではなく、冴えない顔の演劇作家であり、ヒロインが現われるまでは悪役監督の作品など適当に仕上げてポイ、と放り投げようと思っていた、ちょっとワガママだが一本気な男である。

例えば悪役である。彼は山師であることは旧作と変わらないが、監督としては、次々と倒れてゆくスタッフに哀悼の意を捧げただけでよしとするエゴイスティックな男である(この男の口から出ることで最後の名台詞が「引かれものの小唄」めいて聞こえてくることは後述)。

そう、これは21世紀初頭に現われるべくして現われた『キング・コング』なのである(誰も期待しなかった『ゴジラ2000ミレニアム』とはワケが違う)。現われる人物はいずれも何かしらのドラマを胸に秘めている。それだけでもハリウッドの変遷は理解される。「シンプル・イズ・ベスト」なんて言葉は「大きいことはいいことだ」くらいにいい加減に聞き流しておいた方がいい。とにかく、メロドラマの始まりととってもこの映画のファースト・パートには充分な面白味がある。このまま、「キング・コング」なんか出ないで大恐慌時代のラブストーリーをやっちゃあどうか、なんぞと不遜なことを考えたりもいたしました(苦笑)。

で、怪物のことを。「怪獣映画」ってのはつまるところ神話だと俺は思っている。聖性は神と、そして無垢なる子供にこそ宿る。この映画においてのコングは神ではなく、やんちゃな子供だ。その解釈は充分アリではないか?

コングは今まで数知れぬ娘を歯牙にかけてきた…のかどうか、この映画は33年度版の忠実なリメイクではないので判らない。あるいは彼は少女たちをオモチャにしてきただけなのかもしれない(「オトナの…」ではないぞ)。髑髏島には危険さえ犯せばもっと食べ応えのある餌が沢山生息している。そこに差し出されたのがアン・ダロウだ。彼女はコングのなすがままにされた旧作とは違って、ちゃんと拒絶する。あんたなんかの自由にされるあたしじゃないわよ、馬鹿にすんなとばかりに。そして彼の前でコメディエンヌとしての自分の芸を披露する。これは道化としてへつらっているのではない。最初は、あんたなんかにこんな芸当ができる?という挑発、そしてコングが幼児の心をもつ男だと判ってからは、彼をあやすためだ。コングは自分の価値を認めれば自分を島に蠢く魑魅魍魎どもから救ってくれる。その点、頼りになる男なのだ、彼は。

恋、と呼んでしまうには幼すぎる。アン・ダロウは母、コングは彼女を慕う巨大な子供だ。だからアンはドリスコルとともに島を脱出しても許される。そこでデナムの助平心が出なかったら、コングとアンは悲劇を迎えることはない筈だったが、デナムは欲求を引っ込めず、悲劇は起こる。

ニューヨークに連れてこられたコングに、もはや「神性」は微塵もない。悪漢デナムに嬲り者にされる子供だ。そして、最早破れかぶれになったコングは愛しい母を捜す。彼が逃げ惑う女性たちをふんづかまえては放り投げる、これは無縁な人間に対する唯一のコングの残虐行為である。しかし、これは「瞼の母」を捜す泣かせシーンなのだ、実のところ。その挙句コングがアンと再会して間もなく、異様な鉄の獣や鳥たちが彼を攻撃しはじめる。

(先に言っておこう、このコングを日本の「怪獣」と同等に観るのは間違っている。決して神の鎧を纏った「神獣」ではなく、赤子に過ぎないことを強調しておかないと、エンディングの台詞が意味を為さなくなる)

コングは、日本で言えば「和製フランケンシュタイン」にもっとも近く、その母はもちろん水野久美だ。いかにフランケンが不死身の怪物とはいえ、自分は水野の優しさに包まれている彼なら、人間の手で倒されるような気がしている。それは彼もまた神ではなく、純粋な子供だからだ。だから彼はあんな理不尽な死を遂げていったのだ。同様に、不死身のコングは母の前で弱い部分をさらけ出し、葬られてゆく。だからジャクソン監督の唯一の間違いは、あの言葉を流用したことだったのだ。

「銃弾がではない、美女が野獣を殺したのだ」

アンを演じたナオミ・ワッツは確かに美貌だが、この作品にとってそんなことは重要ではない。コングが倒されたのは、美女ならぬ母のためだったのだ。

あの後、デナムは逮捕されるか、保釈されたとしても腑抜けのような一生を送るだろう。彼はあんな間抜けな寝言を残して去るほどに、自分が破壊したもののあまりの大きさに気づいているだろうからだ。

(評価:★4)

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