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[コメント] 二十四時間の情事(1959/仏)

観念的平和主義者たちが大好きな街「ヒロシマ」は此処にはない。今もなお活動し、恋愛までもがリアルに人を呑み込む街「広島」があるだけだ。そしてその都市が男を表わすように、女がそこで燃え尽きてしまった街「ヌベール」と女は同意義となり得る。ふたりはふたつの街の具現化である。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







広島を「ヒロシマ」と呼びはじめたのは、「ヒロシマ・ノート」の大江健三郎からだったろうか。以後「ナガサキ」や「ヒバクシャ」と同じように、これらはフジヤマ、テンプラ、ゲイシャ・レベルの日本名物に成り下がることになる。俺はこの表記法が反吐が出るほど嫌いだ。これは広島という都市をガラスケースの中に丁寧にしまい込む行為だからだ。

男は夜もなお光を放ちつづける都市、「広島」を体現している。ただの被爆資料のみで語られる街、「ヒロシマ」を眺めてきたフランス女に、「君は広島で何も見なかった」と言い放つ。女の見たものは核によって一時代に凍結されてしまった世界遺産としての街だが、そこで思いがけぬ愛情に出逢ってしまうことでこの街が生きていることを知る。この街が岡田英次の街である。

エマニュエル・リバは男の言葉によってヌベールという街を無理矢理思い出せられることで、そこに呪縛された女であることを再認識する。彼女がドイツ兵を愛し、それゆえに売国奴呼ばわりされて隣人に丸刈りにされた街である。そこへ立ち入られることは彼女の傷口に塩を塗りこまれることだ。そこを離れ、パリへと逃げ、そして遠く広島にまでやって来て偽りの自分を演じていても、彼女はその街から未だ逃れきっていない。彼女はヌベールに憑かれた女である。

ふたりの進む道は交わってはいない。だから一日で恋は破局に陥る。女は平和運動に参加することで、過去の自分の罪とは思えない罪を帳消しにすることができない。男は男としてこの街で生きてゆくだろう。これは画面で見るほど幻想的ではなく、極めてリアリスティックな映画なのだから。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (9 人)ぽんしゅう[*] TOMIMORI[*] ねこすけ[*] グラント・リー・バッファロー[*] 鵜 白 舞[*] いくけん 24 けにろん[*] sawa:38[*]

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