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[コメント] 時をかける少女(2006/日)

ノスタルジーに絡めとられたリメイクなど無意味だ。そういう意味では、本作はいい意味で我々を裏切ってくれた。筒井康隆も、大林宣彦も、原田知世さえもこの物語に関係はない。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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最初絵を観た時点で、ああ、これは俺の好きな映画にはなるまいなあ、と思った。さっぱりししすぎにも程があるキャラクター(これが『ふしぎの海のナディア』を描いた人物と同じ男か?)、またしてもどうして実写にしないのか判らない題材。

しかし、その落胆は見始めると同時にすぐに拭い去られることになる。キャラクターの表情のよくもまあくるくると変わる(笑うときは大口開けて哄笑し、泣くときも声を上げて鼻水すら垂らして泣く)様子。そして自然な動きで、またディフォルメされた動きで飽きさせない芝居。なるほど、こいつは立派な漫画映画だ。単純な線はこのアクティブさを邪魔させない、枷を取り外した状態と知る。

そしてまた、繋がっているようで全く関係のない筒井原作版『時かけ』とのテイストの差はじつに較べるべくもないことを知る。未来人千昭はケン・ソゴルの面影などどこにもない軽いノリのフレンドリーでやんちゃな少年だ。これは『ゴジラ/ファイナル・ウォーズ』のX星人にも似た時代の要請に応えた異界人なのだろう。真琴が元気のカタマリであり、なおかつ芳山和子とは似ても似つかない「女らしさ」(彼女の成長した姿に垣間見える「オトナの女」としての真琴への対応は、敢えて言えば唯一の原作からの余韻かもしれないが)などと無縁な少女であるからこそ、千昭は彼女の恋人として似合い、奥寺佐渡子はじつに今っぽい「ロマンス」をそこに用意するのに成功している。昔のSF映画に頻出した、薄気味悪い「21世紀人」は本物の生活感溢れる地球人たちの登場により駆逐された。それゆえに、軽くて切ない「21世紀の恋」も必然として現われたということだ。もちろん、それは軽薄ということではない。自分も未来人だという真琴の嘘を対等に受け入れる千昭は、彼女の性情を知り尽くしたその性格に忠実に、「未来で待ってる」との言葉と抱擁をもって真琴の涙を、「未来へと走って逢いにゆく」いつもながらの元気さに変える。これが、これこそが21世紀の浪漫なのだ。

これを支持することは、例えば「筒井大林」の『時かけ』を否定することにはならない。ぜひ、「細田奥寺」の『時かけ』も暖かい目をもって眺めてやってもらいたい。[過去作品とはここが違う]。便利な言葉ではあるだろう。だが、単なるノスタルジーだけでその言葉を使って欲しくはない。これはこれで、『時をかける少女』を名乗る一編の独立した作品なのだ。

(評価:★4)

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