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[コメント] 崖の上のポニョ(2008/日)

冒頭10分の豊饒は作画スタッフと音楽の賜物である。流石に今度という今度は完全に思い知らされたのは、宮崎駿は枯れ果てたということだ。流れるようなストーリーテリングの能力の片鱗すら、もはやここには見ることはできない。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







彼は総合芸術としてのアニメーション映画の演出家であり、スタッフを如何に使うかが賛否の分かれ目といえば正しいのはわかっている。しかし刺身のツマ(美しい波の表現、海中に蠢く海生動物の精緻さ)が見事でも刺身自体が無味乾燥では全くどうしようもない。

はっきりと聞きたい。この作品は何を物語りたいのか。監督に答えられるはずもない。宮崎は『人魚姫』を手がけようとしたが、アンデルセンの原作に見られるキリスト教的価値観を嫌悪し、その権威を引き倒すためにこの空疎なプロットをでっち上げた、ただそれだけなのだ。よく見る類の人間に、「自分は反権威主義者だ」とハッタリをかます人物がいるが、そうした人物に限って実に自己愛的口調で、如何に自分だけが正論を吐いているかを執拗に綴る。その実は何の事もない、自分だけが権威を持つに価する存在と信じる唯我独尊論者であるに過ぎない。でも、そうであるならばそれもいい。しかし己が権威だ、という証左を見せなければお話になるまい。人魚姫が泡にならず、この日本で暮らして行けるという保証は何処にある。それは不思議の謎を解かなくても受け入れられる、まったくご都合主義的なこの映画の担い手たる女性達ではダメだし、自我すら確立していない坊やでもダメなのだ。宮崎親爺よ。半魚人と暮らせるか、との問いに自ら答えられるか。その薄汚れた魂を、無垢な子供や幻想の女性原理とすりかえることなく答えられるのか。

話を戻そう。下らない見栄に足を引っ張られるあまり、宮崎はこの話の芯を見失っている。ポニョと宗介の愛情?まさか。ポニョは主人公のようで実はトトロと同じ狂言回しに過ぎず、宗介と友情ごっこをやっているのみだ。子供は彼女らに感情移入できているか、甚だ疑問である。まして、ポニョと宗介は厳然たる運命の残酷さに絆を引き裂かれる訳でもないし、そうした心理描写は何故か劇中には描かれない。

必死に我が子を、破滅の前兆である変身から解こうとしているフジモトは、この話では唯一首尾一貫していて面白いキャラと映ったが、娘の行動への狼狽の原因たる根拠はよく判らないし、母親のグランマンマーレに至っては極楽トンボの女王様でしかなく、彼女がリサと気が合ってしまうのもお互い中身のない女だという点に尽きる。別にフジモトの語る如くポニョの行動がこの地上に破滅を齎す、としてもよいのだが、その破滅とやらが全く牧歌的にしか見えない、危機感の存在しない現象なのには失望させられる。宮崎なら出すであろうと予想した人に汚染された海というワケでもなく、ただ美しく透き通る巨大な波が街を呑み込み、老婆たちが海神たちのエナジーを受けて次々に歩き始めるのも、誰も驚かないのはどうしたわけか。宮崎は物語のリアリズムを綴れ織る能力すら失ってしまったと断ぜざるを得ない。

この映画の場面それぞれは素晴らしい、だけどその連続したフィルムは子供も欠伸を禁じ得ないシロモノだ。反権威の仮面を被った権威者、宮崎は既に老いさらばえてしまった。もはや映画の緩急のつけ方すら忘れ去ってしまったほどに。これからも彼のフィルムを惰性で見ることがあるかもしれないが、彼が「私を断罪せよ、いや、踏み越えよ」と叫ぶことをふと期待してしまう自分なのだ。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (19 人)DSCH りかちゅ[*] tkcrows[*] セント[*] 草月 りゅうじん[*] ゆーこ and One thing[*] あんきも ペペロンチーノ[*] Master[*] 秦野さくら[*] 林田乃丞[*] サイモン64[*] Myurakz[*] MM[*] ヒエロ[*] SUM[*] 4分33秒[*] kiona[*]

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