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[コメント] キャタピラー(2010/日)

軍国主義日本の夫婦と言う役割。日中戦争という侵略戦の位置づけ。それらを「これが戦争だ」という惹句で大きくワールドワイドに広げることの欺瞞は、バカがつくほどの正直なクリエイターである若松孝二の心中では認識され得ないのだろうか。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







江戸川乱歩の『芋虫』を残念ながら忘れきってしまったので、それら戦時中のあれこれのコラージュである、山上たつひこの漫画『光る風』に登場する「四肢を失って戦地から帰郷し、家政婦を強姦しようとして果たせず、入水して自殺する青年将校」というモチーフが乱歩のものと思われるゆえのリスペクトと理解、以後は乱歩作品と判断する。間違っていたらお笑いください。

この作品は「戦争の悲惨」が主題ではないだろう。戦争によってその立ち位地が逆転した一夫婦の物語だし、戦争そのものも明らかな侵略戦争である日中戦争のみが背景として描かれる。つまりは「戦争」そのものを俯瞰するのではなく、汚れた手で暴虐を行い、軍神として誤った扱いを受けた男が己の所業を思い返して恐怖し、それを散々虐待した細君に見透かされて関係が逆転するというのが語りどころである。それゆえに観客は夫が自分の醜さを認識して自決し、妻がすべての呪縛から抜け出して、初めて心からの笑顔を見せるラストに安堵し、同時に戦慄するのだ。

つまりはきわめてプライベートな、一家族の戦中史なのである。

そこに、言うなれば帝国主義的側面から、日本に大きな傷跡を残した米国との戦争である太平洋戦争と原爆を無理やり結びつけるところに、監督の甘ちゃん的な被害者意識が露呈してしまい、自分は随分シラケさせられたのだ。これが戦争だ?片腹痛い。これは日本の初めての敗戦でしかない。だから、例えば南京事件を例にあげるのではなく、広島や長崎を戦争の象徴とするのだ。

男は日本のために貢献したのではない。中国女を強姦し虐殺したのだ。軍神として祭り上げられるべき人物ではなく、鬼畜の振舞いを行なってきた「大東亜共栄圏の兄弟国」を蹂躙した「非国民」だということを本人がよく判っている男なのだ。だからそれを思い出した彼は己の罪におびえ、インポテンツにすらなる。そして妻は、謀らずも男の虚飾をはぎ、昔彼女を殴打した彼に復讐することで、弱者たちの無念を晴らす。…もちろん妻はそんなことは意識していないのだが。

乱歩はこの、弱者と強者の存在ゆえの危うげな関係について気づいていたはずなのだ。気づかなかった若松は、無難で誰が聞いても異論を挟まない「反戦」という綺麗ごとに逃げた。それじゃいけないんだ。

対等な関係というのは、とても稀有なものだ。弱者がいて、強者がいて、そこに関係が生まれる。戦争というものも「関係」のひとつだと思えば、男女とはその雛形のような暗喩であることに気がつく。

被害者は同時に加害者になり得る。それを認識せぬ限り、どんな高邁なメッセージも子供の言いつけにとどまる。ドラマが緊迫感を持とうと、志の甘さは作品から価値を相殺する。

(評価:★3)

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