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[コメント] 機動戦士ガンダムUC episode3 ラプラスの亡霊(2011/日)

MS戦は充分時間を割かれているものの、どこか地味さを隠せない演出だが、そんな事は気にならない。富野由悠季のガンダムには決して登場しない、組織の歯車であることを自覚しつつその中で最善の方法を模索する、「父親」代わりの男が、この物語には充分に描かれているからだ。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







確かに父親とは「子供に乗り越えられるべき」存在には違いない。しかし愚作『機動戦士ガンダムΖΖ』に見られるように、総ての大人が唾棄すべき俗物で、それをたやすく踏み越える子供たちこそが「ニュータイプ」だ、といった恐ろしいまでに単純な哲学は、当時の子供たちにさえ受け入れられるものではなかった。

大人にも子供だった過去は必ずあるのだから、純粋な思想で汚れたこの世を悲観したことは必ずあるはずなのだ。しかし彼らは純粋な正論だけで世界がうまく立ち行かないことを知っている。だが、いちばん大切な揺るがぬ信念を卑俗さでデコレイトし、長い目で見ながらより良い方法を模索してゆくのが大人だ。それを描くことで、本作は大人が見ても恥ずかしいものにはならなかった。

現われては消えてゆく懐かしいMSたち…ドライセン、ドラッツェ、アイザックといった機体は、活躍する間もあらばこそ撃破されてゆくのだが、その「登場した」という事実だけで充分だ。MS戦だけがガンダムじゃない…人間の営みの醜さ、哀しさ、素晴らしさを描いてこそのガンダムだ。

(評価:★4)

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