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[コメント] ひそひそ星(2016/日)

手段としてのSFを嫌っていては映画など観られないが、問題はそんなことじゃない。自分が嫌悪するのはリアルな世界を批評するために、実在の風景とそのなかにある個々の人間の営みをいじることの犯罪性だ。
水那岐

爪切り、くしゃみ、お茶などの人間的行為に浸ることで鈴木洋子の「人間性」は明らかになるが、それでも「マシーン」である洋子には理解できない人間の営みを彼女は気にかけ、また追い求める。

だが、この映画において洋子が求めるものの正体は、ただ園監督によっていじられた実物からは遠くかけ離れたレトロ趣味ゆたかな過去の模倣物にすぎない。その惨状を確かめるにあたり、利用された東北の人々の営みはただグロテスクな「意味のある」行動に変質させられる。

言いたいことはこれだ。人間が機械に判らないことをするのは、機械には判らないことをする人間ならではの虚栄心を満足させるためではなく、ただそうしたいからだ。そこに妙な意味を付加するのはただの欺瞞でしかない。

べつに殊更にスンバラシイ行為に浸る気もなしに、東北の人々は故郷にとどまり人間の生を生きている。それに高級な意味をつけようとする余所者の美意識には、決して賛同できない。

(評価:★2)

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