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[コメント] 独裁者と小さな孫(2014/グルジア=仏=英=独)

子供にも充分理解できる、きわめて平易な寓話。しかしだからといって子供騙しにおさまることもなく、物語は衒学を避けてマフマルバフの訴えをストレートに表に出す。決して「お花畑」の住人の戯言ではなく、監督は混迷の母国にこそ必要な「負の遺産の連鎖」の撤廃を高らかにうたう。これは彼の真っ当な勇気こそを意味する血を吐くような叫びだ。
水那岐

では、どうすれば良いのか。独裁者と子供を野放しにしろ、という「全てか、無か」の判断しかないと思えば、それは安直だろう。まさしく「彼もまた人なり」として扱うのが求められる対応であり、彼らが自らおのれの非を認める機会を創るべきなのだ。独裁者憎し、で早急に処刑してしまえばそれは我々も権力者の論理に組み込まれることになるだけだ。

「我々」と言ったのは、我々とは独裁者には成り得ない庶民であり、しかしそれゆえに彼を安易に裁けるとの誤解を抱き得る人間であるからだ。彼を殺して、独裁者の轍を踏むほうが簡単だし気持ちはいい。だが、そうしたが最後、我々も無恥な強者のひとりとなる。我々は無垢な犯罪者である「孫」をもってはいけないのだし、独裁者の心をおもんばかれるが彼に成り代わってはいけないのだ。それは独裁者を「愚かなる神」と規定することで、人間の行く末を考える想像力を放棄することになるからだ。彼は人であり、世界の災厄の根源たる神ではない。彼の罪が人間に裁くことのできるレベルであるかぎり、人間の生きて償える罪状で裁くべきだ、というのが「目には目を」を字義通りに解釈しがちな我々への課題だ。このことを叫びうる人間として、マフマルバフはやはり真正の「市民」である。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 寒山拾得[*]

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