[コメント] 猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)(2017/米)
自分が『猿の惑星/征服』に心を鷲掴みにされたのは、決して嘘偽りの話ではない。だが、そこにあったのはアメリカ社会を描く映画には許されないはずの異分子の武装蜂起であり、第1作の衝撃からは別のベクトル上にある革命運動であって、決してSFではなかった。でも、俺はそんな「アメリカ映画」に血汐の滾る思いを味わったものだった。
でも、時代は変わった。マイノリティへの差別は退けられ、社会上層部に被差別民族や女性がつくのは珍しくもなくなった。映画もそんな潮流より逃れられるわけもなく、ワスプの論理に基づく夢物語のたぐいは意外性を伴うこともなくなった。そして『猿の惑星』もifを楽しむ空想映画から、自由と平等の御旗を掲げる被差別分子の闘争の物語に変質した。そこにあるのはただのステロタイプな美談だ。
うまく語られていれば、むしろこれは米国の神話になるべきものだったろう。白人たちが夢と希望を独占していた時代ならば、それは『スターウォーズ』でよかったが、もはや王女のために怪物と戦う朗らかな物語は許されない時代だ(それは『スターウォーズ』の変質にも明らかだ)。だから少数民族の闘争と勝利の物語こそが望まれたが、あらゆる被差別者の感情を託すには『猿の惑星』は無理はあり過ぎたのではないだろうか。正義を体現するシーザーの不変の指導者像は、いい加減欠点がなさ過ぎてでっち上げ臭い。彼が白人の期待にすら応えるために、寛容でキリスト教的な道徳にも背かない美点をも備えるのではなおさらだ。こんな完全無欠の英雄はいない。
そんなわけで、この映画は説得力を欠くただのおとぎ話になり、娯楽性の薄い道徳律に左右される教科書的な物語に堕してしまった。人間社会になぞらえられる余地はない。『征服』や『最後の猿の惑星』よりできた映画であっても、同時にエンタメ性を見事に失っては俗人の受け入れられるものではない。これでは失敗だ。
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