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[コメント] 早春(1956/日)

主人公が分からない。
KEI

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この作品の主人公は誰なのだろう?

当然ながら、スケ部良(何故か昔から私の周りでそう呼ばれる。根拠は、無い)とその奥さんかと思われるのだが、それにしては2人共、存在感が余りない。

スケ部良は、あの困惑顔ばかりが印象に残るだけだし、奥さん(巷にこんな美人奥さんが居るかな?)は、不倫に対しての表情が、表面的に過ぎる。歌謡曲「ああそれなのに」(S11年.美ち奴:劇中でも歌われる♪空にゃ今日もアドバールン♪)の1〜4番の歌詞以上のものではない。

では、脇役が実は主役なのか?

岸演じるキンギョは、後半に至って、そのパッパラパーぶりが加速されているように見える。これは(後にも触れるが)作者が、それを強調したかったからだろう。主役ではなさそうだ。 「戦友はいいなあ」と言う加東大介は最初から主役ではないだろう(笑)。脱サラし、店を開いた(私の先輩がそう。またこういう人をよく聞きます)山村聰は、ここでは脇役そのものだ。

出世コースを外れた笠智衆も脇役だろうが、しかし彼が一番存在感があった。笠は、どんな役をしても同じ表情・・・ではありません。よく見ると、役柄に応じて少しずつ変えているのです。いい役者だと、最近(かよ!)見直している。

という事で、どうも主役がいない。

物語はどうかというと、浮気の話だ。今は‘不倫’々というが、昔は‘浮気’(そう言えば浮気が不倫より多く使われる様になったのはいつの頃からだろう?)で、「浮気は男の甲斐性」なんて言っていた。又女には「女、三界に家無し」(劇中でも出て来る)と言い、そんな時代の浮気はそれ程大きな事件ではなかった。ただ、当事者(特に男)が本気なら、話は別物になる。だからこそ、作者はキンギョをパッパラパーの設定にしたのだろう。日常によくある単なる浮気ですよ、と言っているのだ。

日常という目で見てみると、この映画は確かに昭和31年のサラリーマンの日常、そしてその周辺を描いている。とすると、主人公は昭和31年の時代、同じだが、この時代の日本といえないだろうか。

小津作品で、いつも書き忘れていたことがある―地名が凄くリアルなのだ。その出身者とか、実際の地を知らないと出て来ない地名だ。今回は岡山の三石(みついし)。岡山出身の友に聞いても、知らなかった位だ(しかし、実際に有ります。2号線、兵庫との県境近く)。小津は、実は相当なリアリズム作家なのだと思う。(既に誰かが指摘していそうですね)。

ラジオの組み立て、鍋釜職人はサラリーマンを羨ましがり。そのサラリーマンはやる気をなくしている。定年する東野英治郎は「(私らなんて)はかないものですよ」と言う。

製作年がS31年というと、「もはや戦後ではない」と政府発表(白書)があった年だ。所謂、高度経済成長期に突入していく時期でもある。この頃は、国民が一丸(いちがん)となって、バリバリやっていたというイメージを持っていたが、リアリズム作家である小津の手になるこの映画をみると、実情はそうではなかったようだ。

しかし、ラストではあの夫婦は希望に邁進していく明日を夢見る。タイトルの「早春」というのは、まだ若い(30半ばだろう)この夫婦だけでなく、戦後新規まき直しでまだ10年しかたっていない日本国の事だろうと思う。これからじゃないか、という応援歌というと言い過ぎかもしれない。

(評価:★4)

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