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[コメント] エクソダス 神と王(2014/米)

壮大な叙事詩。インタビューで監督は「何か大きなものを撮りたかった」と云い、砂漠に巨大なセットを築いた。それとCGでその意図はしっかり伝わったと思う。人間描写が若干弱く思うが、良い音楽が画を支え、物語を十分に味わえる作品だ。献辞は、・・・
KEI

**ネタバレ注意**
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献辞は、弟トニー・スコットに捧げられている。2人の間の感情は知る由もないが、悪くなかった気がする―少なくとも現在の監督は。なぜなら、兄(王)を愚鈍に描いているからだ。

そして、本作は新解釈の神話―神、聖人はより人間的に。奇跡はより合理的に説明のつくもの―になっている。それについて2つほど触れる。

1つは「十誡」('23)「十戒」('56)で有名になった‘紅海渡り’のシーン。まず原作(旧約聖書)をみると、

モーセが手を海にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とし、水は分れた。イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左にかきとなった。(出エジプト記14章21−22節)

「十誡」「十戒」ではここで奇跡が起こったが、原書では「夜もすがら強い東風」が吹き―であり、本作はそこに注目して、地震でも起きたのでは、と考えたらしい?

もっとも「彼らの右と左にかきとなった」→地震が起きたのなら、水は片側だけ(津波)と思うのだが・・・。ここは合理的説明が出来なくて、原書を無視した―だから片側だけの大津波の描写になっている。

もう1つは‘神’のこと。モーゼとのやり取り(その内容、また他の人に見えないこと)や石版に十戒を刻んだのはモーゼ自身(下記注参照)だったとの描写から、本作では、神というのはモーゼの心の中にいた、或いはモーゼの敬虔な心が神そのものだった、と解釈しているように思える。そう見ると、「指導者は迷う。だが石は揺るがない」という神の言葉と共に、ラストで神が去っていくシーンは実に感慨深い。

(注)原作(旧約聖書)では、いろいろ事件があってモーゼは2度十戒を与えられる。「・・・神が指をもって書かれた石の板をモーセに授けられた」(出エジプト記31章18節)と「そして彼(モーセ)は契約の言葉、十誡を板の上に書いた」(同記34章28節)である。

(評価:★5)

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