[コメント] リトル・フォレスト 夏・秋(2014/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画は何だ?山村で食べられる食物百科の紹介ですか?と見始めた時は思ったが−それは当たっていなくもないが−、ありふれた自家製野菜の料理なんてものは余り出て来ない。
ぐみのジャム、ウスターソースの作り方、アケビの炒め物、クルミごはん、イワナそして何と合鴨のステーキ・・・とちょっと珍しく実に美味しそうな料理が次から次へと出て来る。
これらを採取からdish(:お皿に盛りつけた料理)まで撮っている。そして食べる、食べるシーン。そして、次の料理・・・とこんなシークエンスが延々と続くのだ。
そう言えば当たり前のことだが、人は食べて栄養を摂って生きている。恋はしなくとも生きて行ける(一部例外も有りそうです)が、食べないと死んでしまう。そう考えると‘食べる’ということは、生きて行くという事の根源的なものであり、その食べ物を畑で種を蒔き、栽培し、或いは山川から食べられる物を取って来る、そして料理するという行為は、人間の根本的な生き方=生の営み(性ではありません)と言える。
昨今、巷には恋やら愛やら憎しみ哀しみ、確執、軋轢(あつれき)等々という人間関係が絡み合った物語が溢れている。そしてその物語が人間の根本的な生き様を描いているのだと作者達が声高く言っているように聞こえる。しかし、人の生き様の根本的な所は、この映画の中にこそあると思える。
元々生きるという営みは、そんなに激しい一時的なものではなく、静かに綿々と続いていくものだろう。ゆっくりと積み重ねていくものだろう。そこに目を向けさせてくれる静かな生活が、料理と共に描かれている。
1つ1つのdishを丁寧に作っていく彼女の行動、挙措から、そういうことが十分窺えると迄言い切るのは言い過ぎというものだろうか。
どちらにしても、上述した複雑な人間関係のああでもない、こうでもないという物語に食傷気味の方には、この根本的な生の営みを描いたこの作品は、ふっと自分自身を取りも出させてくれる様なやすらぎの時間を与えてくれるだろう。
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