[コメント] シーザーとクレオパトラ(1945/英)
劇作家B・ショーの脚本。「アントニーとクレオパトラ」はシェイクスピアだが、本作はその前日談。触発されて書いたのは間違いないだろう。ところで調べてみると、時にシーザーが52歳、クレオパトラが19歳(諸説あり)。老境にさしかかる男と、まだ少女さが残る女。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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今どきのホンなら、さしずめ少女趣味の50男が・・・となるが、本作では、魅かれはするが「この小娘が・・・」とシーザーは思うだけである。
史実を見ても、溺れることなく別れている。
さらに突っ込んで言うと、シーザーが小娘と思っていたのは、彼女の子供っぽい残忍性による所がある(いくつかのエピソードが描かれている)。
「彼女の鼻がもう少し低かったら、歴史は変わっていただろう」と言ったのはパスカルだが、映画を観て考えるのは「彼女の子供っぽい残念性が無かったら、歴史は変わっていただろう」ということだ。
少女趣味はともかく、大人っぽいクレオパトラであったなら、シーザーは・・・。これがシヨーの描きたかったことかもしれない。がその主張が少し弱く、単なる叙事詩になってしまった辺りが物足りない。
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