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[コメント] ストーカー(1979/露)

まず2つの点に注目したい。1つはタイトル。何故「ゾーン」ではなく「ストーカー」なのか。もう1つは奥さん。主人公ストーカーと結婚した経緯とか下世話な話を語るシーンは、我々観客に向かって話しかけてくる。この直接我々に提示された2点の共通するものは何か?
KEI

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この共通するものは、言うまでもなくストーカー主人公のことだ。この映画はこの彼の考え方、生き方を我々に示しているといえる。

主人公ストーカーは愚鈍で皆からバカにされている。しかし未知なモノに対する‘おそれ’、大きな力(神)に対する畏敬の念は持っている素朴な人間だ。

しかし今回彼が連れて行くのは、科学者と作家。共に探究者―未知なモノを科学により或いは思索により明らかにする者―だ。何でも明らかにしようとする彼らは、モノに対しての畏敬の念はなく、どこへでもズカズカと上り込んでいく。(しかし、‘部屋’には結局<難癖をつけて>入らないのだが)

この2人については次のシーンもある。(2人を聖書の登場人物になぞらえ)主(神)は傍で話を聞いていて、こう言われる―言っていることがさっぱり分からない―と。話(議論)は本質を突くものではなくて、カッコをつけた、上べだけの空虚な議論だからだろう。神は2人を見放されたのだ。

そこが主人公には耐えがたい。だから彼は妻に愚痴るのだ―最近はこんなやつばかりだ。もう誰も連れてはいけない―。

と見てくると、2つの世界があることが分かる。1つは科学者や作家の世界:すべてを明かにしていく。人類の文明は彼らによって進んできた。科学的、論理的世界。:、と主人公の世界:素朴で敬虔な気持ち、畏敬する気持ちを大切にする。盲信的、宗教的世界―社会主義ソ連邦によって否定されたロシア正教は敬虔、畏敬、盲信的色彩が濃くはなかったか―:。

この映画はパートカラーになっている。カラー部分はゾーンと主人公の娘のシーン、つまり主人公の(望む)世界を表している。彼が愚痴るシーンは現実の世界なのでカラーではない。

そしてこの2つの世界は、どうなっていくのか?これがこの映画のテーマだろう。主人公は更に愚痴る―「人は皆自分を売り込むことばかり考えている」「何を考えるにも金ずくだ」「誰ももう何も信じようとはしない」「‘部屋’ももう必要なくなった」。

1つのシーンがある。‘部屋’の前の魚がいる水たまり。そこに黒い汚れ(?)が広がっていく。かぶさるように、汽車の邁進する音、そして躍動する音楽。イメージとして、ゾーンの世界=主人公の世界が侵されていくのだ。

主人公一家3人が帰る途中、湖の向こうに原子力発電所が見える―科学文明の象徴。主人公の世界に対峙する世界の象徴だ。

黒い犬は神そのものか。誰もがあの‘部屋’を必要としなくなった今、神は部屋を、ゾーンを去っていくのだ。

ラストシーンは娘(放射能障害により足が不具)の部屋だ。テーブルの上のコップが遠くからの汽車の振動で徐々にスベリ落ちていく。そして、またしても汽車の音と今度は第九‘歓喜の歌’がかぶさる。娘の世界、純真な精神世界も侵されていくのだ。(彼女の読んでいる本・詩は希望というより欲望に目を向けた内容だ)。

心を亡くしつつある我々の科学万能の世界の行く果てには何が待っているのだろう。 タルコフスキーの警鐘である。

付記、○ゾーンにはあまり触れなかったが、ゾーンの世界=ストーカーの世界であり、‘部屋’は映画の中で信じられている通り、神が望みを叶える奇跡の部屋である、と考える。‘神を疑うなかれ’である。

それと‘ヤマアラシ’の挿話だが、さんざん言いあった後、最後に作家が「そもそもヤマアラシの話なんて誰に聞いたんだ?」と聞くシーンがある。主人公は「彼だ」と言う。(発音を聞くと‘OH(オン=彼)’で直訳なのだが、神という意か?(もっとも英語と違ってロシア語の‘彼=OH’は人称代名詞であり神の意はなかったように思う)。どちらにせよ、‘ヤマアラシ’の挿話は主人公の作話とも取れるという事だ。つじつまが合うとか合わないとかが問題ではなく、またこの挿話に意味を求めるのも無意味なことだ(世の中にはこういうことがよくある)と作者は言っているのだろうと思う。

○上記はいろんなシーンから組み立てた1つの解釈であり、タルコフスキーは草葉の陰から「引っかかりおった」と笑っているかもしれない。僕自身、あのゾーンの旅は実に魅力的で永遠にさまよっていたいなんて思ったが、そう思うのは単なる甘ちゃんの考えだろう。と云うのは、あの湖の向こうに原子力発電所が見えた時、ドキッとして現実世界に引き戻されたからだ。まんがの‘ドーン!’だ。あの一家と同様我々も原子力と同居する世界で暮らしているのだ。

○最後に、すべて科学的な解釈は出来ないのかという人の為に、次のような説明はどうだろう。実は‘ゾーン’は政府の放射能兵器研究所で‘部屋’はその中枢実験室。しかし、失敗した為放置されている。ただ‘部屋’にはまだ放射能が幾分か残っている。‘ヤマアラシ’が金持ちになったのを事実とすると、これは放射能障害が出た為に、政府が慰謝料口止め料を払ったのだろう。その弟、他の人は実験に仕掛けられた開発兵器にやられた。戦車、バスもその名残りだろう。作家が聞いた「進むな」は妄想だろう。科学者なら聞いてはいないだろう。ストーカーは大きな絶対的な力には従順だ。神だと思っている。放射能の障害=科学の弊害と置き換えれば、あとは上記とさほど違いはなくなってくる。黒犬はただのノラ犬だろう(笑)。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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