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[コメント] 小説家を見つけたら(2000/英=米)

「文学っぽさ」という外側だけの腐臭を纏った映画。美文を書くことと、物語を作る能力はまったく別であろう。あと、随所に見られる差別意識も非常に気分が悪い。
Kavalier

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、主役の二人の興じる文学が、知識と引用の応酬だけであること。そして、 ラストの作文を読み上げるシーンで、文章を最後まで読み上げずに、途中で省略し、観衆の感動している顔のアップをベタベタした音楽と共に次々と挿入するようなシーンに見られるように、「文学」を描いた映画ではなく、(監督を含む)観客の最大公約数の「感動」だけで成立している映画とでも言えばいいのか・・・。

全てのプロットが、最後まで互いに交わることのないままにそれぞれ独立して破綻を迎えることや、各シーンの繋ぎのあまりの下手さを見るに、そもそもこの監督は映画を作る才能が完全に欠如しているのだろう。

以下は、ダラダラと気になった(触った)こと。

スラムとパブリック・スクールの描き方があまりに(悪い意味で)旧来・類型的。スラムに生きる人々(現実には白人も在住しているのだが、なぜかこの映画ではすべて黒人)は本当に社会的なクズとして描かれている。このような描写は近年の大規模公開の映画では、なかなか見られない表現で少し驚いた。そして、そのクズから這い上がるように、才能を見出され私立校へ転向した主人公は、昔の友達の関係を絶ってしまう。その上で、彼らとスラムの住人への嫌な意味でのエクスキューズが大量に存在する。例えば、主人公の兄の描き方であったり(スラムが屑であることに自覚的である人間だけ善良に描かれる様には、作り手の傲慢さを感じて反吐が出そうだ)、ラストのバスケットシーンのいかにもな表現も気分が悪い。

ショーン・コネリー演じる作家がなぜそのスラムで隠遁していたかの理由が最後まで明らかにされない。サリンジャーをモデルにしているようだが、実際にサリンジャーは田舎で隠遁しているので、(まあサリンジャーがモデルでなくとも)あんな環境の悪い都市部に隠遁する理由をきちんと明示して欲しい。まあ主人公が住んでいたからなんだろうけど、この辺りのご都合主義に対して、嘘っぽくてもいいからなんらかの理由が必要と思う。

文学をシンボリズムや作家の生い立ちや内省に論拠を求めて批評・解体する、或いは描くといった 行為が否定的に語られているが、コネリー演じる作家が書いた小説や、ラストに読み上げる主人公の文章は、非常に自伝(他伝)的と思うのだが、これはいったいどういうことだろう? そもそも、この映画自体が、トラウマや環境起因ドラマと化している。

他にも、矛盾しているとしか思えない表現が大量にあるのだが、一々突っ込む気にもなりゃしない。

(評価:★1)

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