[コメント] ディスタンス(2001/日)
(社会的に)理解不能の思想に殉じた家人の死因を(社会から隔絶された)異境で探索する遺族達。
擬似・手法的リアリズムによる恣意的に参入される回想シーンと現役異境人との邂逅を通して、死者を近似人間であると同情的視点で持って遺族は家人の死を心中に縮図化することでトラウマから快復する(或いは快復のきっかけとなる)。そしてその過程を観客は映画のミステリー的な構造を通して俯瞰的に追体験させられると共に、彼らが日常へと帰還する時、映画その物が(社会の)縮図であることが発覚・暗示され、その縮図化に荷担させられた観客(俺)は、非常に不快になるのだった。
フィクションにおける、ナラティブ・セラピーという物について、昨今の邦画の製作者達は真剣に考えたほうがいい。他者のドラマはそれに介在することで自己を相対化する作用として使用されるべきであり、メタ的な物語を安易に組み込みそれを縮図化する行為にこそ、映画のテーマに占める闇と弊害が内在されていることに気づいて欲しい。手法によるリアリズムは人間や社会を解体する作業には貢献しないのだ。
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