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[コメント] 風立ちぬ(2013/日)

この映画を理解できるのかね?日本の少年よ。 宮崎駿の挑発。インテリジェンスの闘い。 なぜ、この作品を最後とせず、再び長編アニメーションに取り組んだのか?そのヒントがこの作品に隠されているような気がして、追記しました。
ALOHA

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







作品 この映画が理解できないのなら、それはそれでいい。と宮崎駿は思っているに違いない。 それは知性と教養の問題で、これはピラミッドのある世界の物語なのだから。 この映画の主人公である堀越二郎は、宮崎駿自身である。 つまり、この作品は宮崎駿の自伝であり、宮崎駿の「仕様書」であり、「取扱説明書」のようなものだ。 この映画は、ゼロ戦開発者である堀越二郎の物語と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」をミックスした宮崎駿のオリジナル作品となっている。自分自身を主人公とするオリジナル脚本だ。 世間からささやかれ続けている宮崎駿批判についても、この作品を通して説明を試みている。 ジブリの鈴木プロデューサがこの映画を「遺言」と言ったそうだが、まさにそういう映画だろう。

主人公:二郎 思いの強い、まじめで一途な男。何かのきっかけで飛行機を夢にまで見るようになった。 学校で貸してもらった海外の飛行機雑誌に掲載されていたイタリアの飛行機設計家カプローニを知り、強い尊敬の念を抱く。カプローニへの強い思いは、カプローニと夢を共有するほどまでに至る。カプローニは二郎(宮崎駿)の心の師匠だ。 〜 宮崎駿の叔父は飛行機メーカの社長で父親は工場長だった。宮崎駿の飛行機好きはここに由来する 〜 先天的な近眼であるがために、飛行機乗りになれない事を悩んでいたが、カプローニから「いいかね日本の少年よ。飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでも無いのだ」「飛行機は美しい夢だ」「設計家は夢に形を与えるのだ」と助言を受ける。二郎はこの言葉により設計家としてまっすぐ生きる。ひこうき雲のように。 二郎は寝ては飛行機の夢、起きては飛行機を妄想する。頭の中は常に飛行機でいっぱいだ。日常生活では常に心ここにあらず。世間から評判の悪い庵野秀明のセリフの棒読みは宮崎駿の計算された演出なのだ。 二郎の見る夢、妄想の中で、飛行機はことごとく墜落する。妥協を許さず、頂点を目指す男だからこそ見る夢だ。 二郎について、戦争の道具である飛行機を作り続けた。という批判がある。 カプローニの「戦争はじきに終わる」というセリフとリンクして、二郎が社内の自主的研究会で発表した「最新の飛行技術を結集した」「機関銃を乗せなければ何とかなる」飛行機を、残念ながら次の機会に譲ることとして取り下げる。というエピソードは、宮崎駿があらかじめ用意していた答えだ。二郎は夢の飛行機を作り続けていた。設計家として、夢の飛行機を作り続けること。戦争の道具になるからと仕事を放棄してしまえば技術は陳腐化し、次の飛行機は作れない。夢をカタチにするために努力し続けること。二郎は風がある限り懸命に生きる。 〜 ”ジブリ”とは実際に存在するカプローニ社の飛行機の名前がその由来である。その意味は「熱風」 〜

ピラミッド カプローニが二郎に尋ねる。「君はピラミッドのある世界とピラミッドの無い世界と、どちらが好きかね?」 二郎は答える。「僕は美しい飛行機を作りたいと思っています。」 一見チグハグなやり取りに見える。カプローニが表現した「ピラミッド」とは、貧富の格差、教養の格差といった意味だろう。この映画では貧富の格差や教養の格差が様々な場面で描かれる。 世界で起こっている争いは格差が生み出すものだ。では、格差の無い世界は理想なのだろうか? 二郎は夜遅くに外にいる幼い子供達を不憫に思い、シベリアを買って差し出すが断られる。彼女が断った理由は、そこまで落ちぶれていないという「誇り」かもしれない。彼女との出会いは二郎の思いを確信に変えた。偽善を捨て、誇りを持ち、思うがままに夢に向かおう。と。 「風」もまた気圧差(格差)によって生み出されるものだ。フォローもあればアゲインストもある。しかし、それはいずれにせよ夢をカタチにする推進力となる。

菜穂子 富豪の娘。母親を結核で亡くし自分自身も結核に。身の回りの世話は使用人のお絹さんが見る。小さい頃から油絵やフランス語をたしなむ。飛んだ帽子に身を乗り出してキャッチするなど、お転婆ぶりを発揮する一方、教養の高さや奥ゆかしさも描かれる。軽井沢で菜穂子は二郎との再会を泉に願う。女性が男性に対して直接的に行動する事は慎まなければならない。そんな時代だった。だからこそ、「二郎ともう一度会いたい」と泉に願ったのだ。菜穂子の奥ゆかしさという内面的な美しさが、表面的な美しさとなって出てきている。菜穂子の美しさの本質だ。二郎はそれを「綺麗」と表現する。 二郎をサポートし夢をカタチにする事。これが菜穂子の生きた証しである。彼女は高原病院でそれを悟り、二郎の下に戻った。 二郎の夢がカタチになった日。菜穂子は二郎の下から永遠に去るのだ。 (追記) 完成した飛行機を飛ばしている試験飛行場で、二郎は突然「風」を感じる。 それは菜穂子の病院の方角からだった。それは菜穂子の死の暗示だと理解したが、それにしては時間的に急すぎる。と思っていた。 そのとき、私は知らなかったのだ。人間は自分の死をコントロールできることを。 その後、ある方の死に直面した経験から、私はそれを知ることになった。 菜穂子は自分の死期を大切な人のためにコントロールしていたのだ。 二郎の最も大切な日を迎え、二郎を送り出したことで、菜穂子は美しいまま人生を終えた。 二郎に涙がないのは、菜穂子が充実した、幸せな人生を送ったと思っているからだろう。 その事を教えてくれたN氏と、菜穂子の生き方を思うとき、私は涙を禁じえない。

二郎と菜穂子 二郎が学生の時、汽車のデッキで菜穂子に偶然に出会う。 風に飛んだ二郎の帽子を菜穂子がナイスキャッチ。 菜穂子はフランス語でポール・ヴァレリーの詩の一節を語りかける。 Le vent se lève,(風立ちぬ) 二郎は継ぐ。 il faut tenter de vivre(生きようと試みなければならない)

古典落語「崇徳院」を想起した。 この落語は大店の若旦那が、茶屋で出会った絶世の美女に一目ぼれをし、恋の病で床から起き上がれなくなり、熊さんが美女探しに悪戦苦闘する。そもそも一目ぼれをしたのは、女性の顔の美しさもあったのだが、美女が別れ際にささっと筆書きし渡してくれた一片の紙を見たからだ。そこには、小倉百人一首の77番に収録されている崇徳院の和歌 「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あは(わ)むとぞ思ふ」 の上の句だけが書かれていた。

これはテストなのだ。 実は彼女の方も若旦那に一目ぼれしていて、恋煩いで寝込んでしまっているのだが、顔の美しさだけで結ばれても幸せになることはできない。身分や教養、価値観という点でもある程度同じでなければならない。それがわかっているからこそ、この紙に書かれた和歌の上の句だけで意味がわかるような人であれば一緒になりたい。という気持ちがあったのだ。

和歌の意味は「川の急流が岩に当たって2つに分かれてしまっても、すぐにまた合流するように、あなたにもすぐにお会いしたいと思っています。」という事。 これを菜穂子も汽車のデッキでやったのだ。ポール・ヴァレリーの詩を使って。 上の句を菜穂子が言い、二郎は下の句を継いだ。 二人の運命の瞬間だ。 このとき二人は、お互いの顔の美しさだけでなく、知性・教養の内面的美しさの両方に恋をしたのだ。 だからこそ、草軽ホテル近くの湧き水のところで、菜穂子があの時の少女だったと二郎がようやく気づいた(顔を忘れていた)のに、汽車のデッキで帽子をキャッチした時から菜穂子のことを愛していた(一生の伴侶とすべきと思った)。 というセリフが成立するのである。

二郎は仕事と、菜穂子との愛を両立させる事ができるか悩んでいた。 しかし、草軽ホテルでドイツ人が弾いたピアノの曲の合唱で意を決することとなる。 その曲とは「ただ一度だけ」(Das gibt's nur einmal )。 この歌詞が全てを語る。

 ただ一度だけ  もう二度と来ない  ただの夢かもしれない。  人生にただ一度  明日にはもう消え去っているかも。  人生にただ一度  だって花の盛りはただ一度だけ。

風と帽子と軽井沢 軽井沢は、カプローニの「ピラミッドのある世界」の象徴として描かれる。日本にいる諸外国のエリートが集う場所だ。 二郎が軽井沢に行ったのは、艦上戦闘機の試作に失敗し、打ちひしがれ、暑い名古屋を離れ避暑地に向かったものだ。ホテルでドイツ語の航空専門誌を読み耽る姿は、「軽井沢の住人」達の仲間入りをする素養としては十分だった。 富豪の娘である菜穂子は、「軽井沢の住人」である父に連れられ保養に訪れていた。 二郎と菜穂子を結ぶきっかけとなった帽子。それは風が運んだものだ。 ある方が、この映画では帽子がその人のあるべき位置を暗示しているのではないか。と指摘されていた。確かに、汽車では菜穂子のところに二郎の帽子が飛んで行き、軽井沢での菜穂子との再会では、落ちてきた菜穂子の帽子を二郎が被った。風が二人を結びつけたようだ。 出社初日に上司から「帽子はそこ!」と指示されたのは、二郎が飛行機作りをする場所が決定づけられた瞬間であった。

誰が風を見たでしょう。 僕もあなたも見やしない。 けれど、木の葉をふるわせて、 風は通りぬけていく。

風よ、翼をふるわせて、 あなたのもとへ届きませ。

この詩は、軽井沢で菜穂子が熱を出し寝込んでいる事を心配し、その部屋が見えるベランダで二郎が紙ひこうきを折りながらつぶやく。この詩の最後の2行は実在するオリジナルの詩に二郎が継ぎ足したものだ。ここでも二郎の幅広い教養が描かれる。オリジナルは、イギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティの作品で、西条八十が訳詞したもの。 西条八十の詩といえば「帽子」が有名だ。

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、 渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ。 母さん、あれは好きな帽子でしたよ。 僕はあのときずいぶんくやしかった。 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。  (以下略)

この詩もまた、碓氷・軽井沢の美しい自然の中で、風が帽子を運んでいく。 すべてが繋がっている。宮崎駿の世界。

たばこ この映画の中では喫煙シーンがとても多く描かれる。ジブリの鈴木プロデューサがそのことを宮崎駿に指摘したところ、「そんなに多い?」と宮崎駿自身は多いという自覚が無かったようだ。と語っている。当時のリアリティを追求すればそういうものなのだろう。との解説がついていたが、宮崎駿が「喫煙シーンが多い」と指摘される事に気づかないわけがない。そんな鈍感な人間であるはずがない。これは恣意的なのだ。 二郎(宮崎駿)にとってタバコは、創作活動が停滞したときにそれを打破するためのかなり重要な道具として位置付けられているように思う。健康を害するとかそんな話しは及ばない。夢をカタチにする大切な仕事のための重要な道具なのだ。

結核患者である菜穂子の横で、手を握りながら喫煙するシーンがある。 このシーンは賛否両論で、二郎の薄情さ、人間的冷たさを示している。という指摘も多い。 この映画は色々な事に説明を付しない。このことで色々な誤解が生まれるのだが、宮崎駿はその指摘があろう事は端からわかっている。だからこそ、二郎が薄情でないシーンをいくつも散りばめている。 序盤のいじめっ子をやっつけるシーンから始まり、汽車の中で若い女性に席を譲るシーン、お絹の骨折に親身に対応するシーン、ライバルである同期に未発表のアイデアを提供するシーン…等々。 二郎は熱い。薄情な男なんかでは全くない。その男が、菜穂子の手を握りながら煙草を吸う。これは二人の覚悟であり、愛の姿なのだ。夢をカタチにする大切な仕事に手を抜くべきでないし、手を抜かせるべきでない。死の前に、ほんの少しのわずかな時間でも一緒にいたい。二人は口にこそ出さないが不治の病であることも了解しているのだ。このお互いの気持ちを二人はあの短い会話だけでわかりあっている。これが愛し合うという事なのだと。それがわかるからこそ、この二人の健気な姿が涙を誘うのだ。

結核 当時、結核は不治の病とされ、いわゆる「結核文学」といわれる作品ではサナトリウムに入る。という事がすなわち最期を迎える事を暗喩していたそうだ。 二郎と菜穂子が軽井沢で再会するシーンは菜穂子が絵を描いているシーンから始まる。その姿は、クロード・モネの「日傘をさす女」にそっくりだ。モデルとなった女性はモネの妻カミーユで、結核で亡くなっている。これは菜穂子の将来を暗示したものだろう。 軽井沢で謎のドイツ人カストルプが「ここは魔の山」と言う。 魔の山とは、トーマス・マンの小説の名前である。この物語では主人公のいとこが結核となり、サナトリウムを見舞うが、その主人公も結核になってしまう。この物語の主人公の名前は「カストルプ」。つまり、男が名乗った「カストルプ」という名前は偽名である。謎のドイツ人は自分の名前を名乗り、「魔の山」のエピソードを語ることで、敢えて偽名であることを二郎に伝えたのだ。 トーマス・マンの小説「魔の山」の内容を知らなければ、この会話は成立しない。 この映画は「ピラミッドのある世界」で成立している。

美しさ この映画では純粋な『』が描かれる。 その象徴は「鯖の骨」だ。機能的に優れているものは「美しい」。それは神が与えた「美」だ。 宮崎駿が映画作りで主張してきた自然との共生。そのメッセージは、人間は謙虚に自然に学ぶ姿勢を持ち、決して思い上がってはならない。 二郎は最後まで「鯖の骨」に近づきたいと仕事をしていた。それは神の仕事に近づくということであり、菜穂子もそのことを強く理解していた。

人間の美しさとは表面的なものではない。美しさとは、顔かたちだけでなく教養を備えた姿。それは二郎と菜穂子が初めて出会った汽車のデッキでのやり取りが象徴している。 機械の美しさもまた、形状だけではない。カプローニが夢の中で二郎の飛行機を褒めるが、二郎は「まだまだです。エンジンもコックピットも決まっていない。」とそれを真っ白の紙ヒコーキのように大空に飛ばす。 二郎が、形状だけでなく、飛行機という乗り物そのものとしての美しさを追求している姿勢に、カプローニは「ブラボー!」と叫ぶのだ。

菜穂子の夢は「美しい飛行機を創るための精神的支柱となり、二郎の夢をカタチにする事。」それが菜穂子の生きた証しである。 菜穂子は父から「男はどのような事があっても仕事が第一である」と教育されている。 菜穂子が黒川家を去った時の黒川夫人のセリフ

「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね。」

ここで指摘している美しさとは、もちろん菜穂子の顔かたちの美しさだけではない。 どんなわずかな時間でも二郎と一緒にいたいという気持ちを殺し、最期を迎える自身の身体のことで、二郎の仕事の足を引っ張るわけにはいかいない。という菜穂子の健気な心の美しさである。ここに我々は心を奪われる。

メッセージ この映画は宮崎駿自身の「仕様書」であり「取扱説明書」であるわけだが、宮崎駿から我々へのメッセージも残してある。 それは、カプローニが夢の中で二郎を名前で呼ばず、「日本の少年よ」と呼んでいる事から明らかだ。 そのメッセージとは、

「風は吹いているかね? 力を尽くしているかね? 日本の少年よ。」

(追記) 私はこの作品が宮崎駿最期の長編アニメーションだと考えていました。 が、2023年7月に新しい作品を公開するらしい。。。。今度の作品も題名に『』が付いてないようです。

なぜ、宮崎駿は再び長編アニメーションに取り組む事にしたんだろう?と疑問に思っていたのですが、 今朝、たまたま早く起きたのでその事について考えてみる事にしました。 で、その結果、少しの発見がありました。

風立ちぬラストシーンで、菜穂子が二郎に語りかける台詞が最後のアフレコの際に変更された。ってエピソードがあったのを思い出しました。 宮崎駿が用意していた台詞は「来て。」だったのですが、 二郎の声を担当した庵野が何かを意見して、「生きて。」になったのです。 庵野だろうが誰だろうが、宮敷駿がこうだ。と思った考えを簡単に変えるはずがありません。 つまり宮敷駿は、議論を経て、自分自身で台詞を変えようと思ったのでしょう。

風が「立つ」って面白い表現ですね。 自然現象ではなく、 まるで風自身が意思を持っているようです。

作品の中で風が立つという表現が出てくるのは、自然現象だけじゃなくて、 その時が来た。とか、上手く行きそうだ。みたいなときに使われています。

菜穂子と二郎が初めて汽車で出会ったときに   「風立ちぬ」   「生きようと試みなければならない」 と交わして運命の瞬間を迎えたわけですが、 『生きようと試みる。』という表現は、ただ生きているだけの状態を示しているわけではなさそうです。 それは、一生懸命に生きる。つまり天から課された仕事を人生を掛けて懸命に行うということだと思いました。

作品最期の台詞は、 当初は「来て」で、菜穂子が自分のいるところに二郎を呼ぶ。すなわち二郎は死ぬ(仕事を辞める=宮崎駿は仕事を辞める) だったわけですが、 変更後の「生きて」という台詞の意味は、仕事をして。という事だったのだ。と気づきました。 二郎は奈緒子の声を聞き、「うん。うん。」て言っていました。

二郎が宮敷駿自身の投影だと考えると、 作品を構想した際には最期の長編アニメーションにしようと思っていたけど、 最後の最後に少し気が変わった可能性がある。と気づいたのです!

次の作品を作ろうと思った理由は、 まだまだ庵野なんかに任せられるか! だったのかもしれません(^^

(評価:★5)

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