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[コメント] あずみ2 Death or Love(2004/日)

前作が予算が豊富な『ゼイラム2』なら、今回は同じ無駄遣いをした『くノ一忍法帖』か。 北村龍平は自分の作風を出し切ってそれが成功に結びついていなかったけれど、金子修介は彼自身の仕事ができていたかどうかもあやしい。
かける

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、正直なところを告白すると、私はこの作品を「弔い合戦」だと思って大きな期待をしていた。つまり、金子修介に「ゴジラの仇をあずみで討つ」ことを期待していたのだ。

北村龍平は、前作の「あずみ」で原作の漫画も、日本の時代劇的作法もズタズタ、グズグズにしたミュータントを世に出した。

その続編を、金子修介が撮る! 金子ゴジラに対する低評価自体は甘んじて受け入れなくてはいけない部分があるにしても、ゴジラの末期の水を北村龍平のような無頼漢にとられてしまったことは、日本のトクサツを愛する人間の一人として、痛恨の出来事だと思っていた。舞台が一枚下がってしまうにしても、その北村龍平に金子修介その人が天誅を下すチャンス! ……と、外野で一人勝手に盛り上がってしまっていたのだ。

冒頭、断崖絶壁に追いつめられたあずみが刀を抜く。そして彼女はこのシーンでだけ、前作風(つまり『ブレイド』というか支那風)の刀の取り回しをしてみせるが、その後は一切こんなふざけたマネはしない。もうこれだけで「仇討ち」の期待は高まる!

しかし、その野放図な期待と盛り上がりが、ものの見事に打ち砕かれてしまうのに長い時間はいらなかった。

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たしかに、前作は『あずみ』でもなければ「時代劇」でもなかった。 しかし、「北村龍平劇場」としての個性は充分に持っていた(そして私はそれが大嫌いだ)ところが、この続編は「な゛ん゛な゛ん゛だごれ゛ばー」といった正体不明の作品にしかなっていなかったのだから話にならない。

ただただダラダラと続くだけの冗漫なストーリーにまず退屈する。殺陣のスピードも、セットの規模も、前作より格落ちにしか見えなかった。

上戸彩は前作同様に健気にがんばってはいるものの、例えば栗山千明にしたって、ダメダメくの一をニコニコ演じている間は居心地が悪そうでしかたない。内通者だとわかるまでのシークエンスが無駄に長かったのか、あるいはキャスティング自体の失敗だろう。

平幹二郎も存在感や重厚さとは縁遠い使われ方だったし、高島礼子の極妻セリフも新春かくし芸大会的なお約束。まぁ二人のカラミにはドキドキしたということにしてもいいけど、あれと彼女の甲冑のデザインのおかげで「高予算"くの一忍法帖"」になっちゃったことを思うと、バツもいいところの大バツだ。

金角、銀角はイマイチキャラが立っていないし、金角役の遠藤憲一は前回のチョイ役の悪役の時とまるで同じ芸風なのが不可解。

敵役の土蜘蛛と六波に至っては、メイクや衣装、ギミック等々も単なる悪趣味の最たるもの。北村龍平的な悪フザケは確かに子供騙しだったけれど、金子修介がくだらないCGでスプラッターを見せることをなんといえばいいのだろうか。この敵味方4人の異形のキャラのうち、銀角はともかく誰か一人でも前作の美女丸(オダギリジョー)クラスのちゃんとした俳優を使えなかったのだろうか。もちろん、グロテスクなCGに頼るような陳腐な演出抜きでだ。

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そもそも、"Death or Love" とか言っているけれど、"Death" はともかく、"Love" ってなんだ? 大体、金子修介に"Love" なんて期待しちゃいけないことに、誰も気づかなかったのだろうか。 僕自身、贔屓の引き倒しになるほどの金子ファンだったにしても、彼にそういうストーリーや味といったものは全く期待したことはない。

彼が描けるLoveはせいぜい『卒業旅行 ニホンから来ました』みたいなカリカチュア的ドタバタか、ガメラで藤谷文子の頬にサッと傷がついたり、前田愛の一世一代の名シーン「……熱いよイリス」くらいのものだ。

そんな、高島礼子姐に「女も知らん!」と一喝されそうな匂いがあったのが金子修介という人だったはずだ。にしても、金子そのひとらしいシーン、演出が、しびれ薬に倒れたあずみの苦悶の表情くらいにしか無かったとしたら、この映画は金子修介の仕事としてはほとんど価値のないものになってしまう。

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たしかに、この映画の製作中に「いろいろあった」というような話も聞こえてくる。金子修介その人にとっては不本意なこともたくさんあったのかもしれない。これまでも、金子修介は一作目のガメラの「いろいろ」で本を一冊書いてしまっているくらいだ(「ガメラ監督日記」) でも、それが「仕事」というものなのだろうし、そういう「いろいろ」は誰にでも(それこそ北村龍平にだって)あるものだろう。 たまたま平成ガメラでは、その後の二作で意趣返しをできたかもしれないにしても、ゴジラでも何らかの「消化不良」のようなものを抱え込んでしまっていた以上、この作品での「いろいろ」に対しては、この作品自体でキッチリとオトシマエをつけておくべきだったと思う。

もっとも、「ガメラの金子修介」が「ゴジラの─」になれなかった時点で、私も贔屓の引き倒しをやめておくべきだったのかもしれない。彼は、ガメラで成功し、日本特撮、怪獣映画にこの人あり! とはなったものの、それ以前もそれ以降も、一般映画で成功しているとは言い難い。それに、ゴジラで失敗(ファンの評価はさておき)したことを考えると、彼は「ガメラの金子修介」ではあっても、それ以外の何ものでもないのかもしれない。

本作が、怪獣映画やいわゆる特撮映画に近いところにあった映画だけに、今回の失敗は痛い。映画監督としての金子修介には、市場的、芸術的評価はもちろん、個人的贔屓度にも黄色信号が点滅してしまったような気がする。

でも、どうしても次への期待を捨てきれない。次こそは、伊藤和典がいなくても、樋口真嗣がいなくても、これが金子修介だ! という痛快な一撃を見せてほしい。心からそう思う。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)sawa:38[*] すやすや

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