[コメント] E.T.(1982/米)
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「物語の本質は何も変わっていない。みんなの知っているE.T.そのもの(スピルバーグ@NTV「ザ・ワイド」)」
それなら消費社会、資本主義社会の王道、「付加価値の添付」で商魂という刃を研がず、オリジナルの再公開で充分だったはず。作品自体の価値が高いだけに、本当に残念です。
これでは「ナントカの商法」とか言いたがる人が出てきてしまうのもしかたがないかも……。
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また、同番組で紹介されていたコメントで、CGで新たに作り直した場面の一つとして紹介されていたのが「自転車で逃げる子供たちに対して道路をパトカーで封鎖する警官たち」というカットでした。
──オリジナルでは警官の1人がショットガンを持っている。
それをスピルバーグは、「子供たちを傷つけてしまうような武器を警官が持っていることが耐えられなかった」のように語っていました。
そして、CGでショットガンを無線機に置き換えたその場面は予告編でも使われています。
となると、彼の認識では「警官が子供たちを撃ってしまう可能性」を持ちながら、ショットガンを手にしていた、ということになります。それはあまりにも警察官という職務、警官個人の人格をないがしろにするものではないでしょうか。
宇宙服(?)の科学者たちがエリオットの家にやってきたのも、警官が出動して道路を封鎖したのも、子供たちを未知の脅威……たとえばバイオハザードかもしれない地球外生物と、その危険性から子供たちを守るためではなかったのでしょうか?
E.T.を子供たちから取り上げようとする「悪者」として彼等が描写されるのは、子供たちの視線で描かれるストーリーであることによる必然です。そして、E.T.は大人が取り越し苦労をするような「危険」とは無縁であるからこそ、その対立構造、描写が意味を持ってくる。地球外生物との邂逅のときに、あの子供たちのような無垢なスタンスでありたい……そのメッセージはオリジナルでも充分に伝わってきたはずです。
しかし、製作者その人が、警官を子供たちと対立する「悪」であるかのように捉えているのは全く理解に苦しみます。
ごくありきたりの鉢植えの植物ですら、国境を越えるときには検疫が必要で、その正当性や、必然性はごく当たり前のこととして認識されています。ましてや重大なバイオハザードかもしれない地球外生物に対し、関係当局が職務を果たそうとするのは当然のことでしょう。しかし、スピルバーグは子供たちを保護しようとしている警官が、ショットガンを手にしていたら「子供たちを傷つけるかもしれない」と言うのです。
子供たちの純粋性を、メッセージとして歌い上げることに異論はあるはずもありません。しかし、作り手が子供たちに過剰に感情移入してしまうのは製作者としては贔屓の引き倒しです。しかも、それが高じて客観性に欠く、という「小児性」を縦横に振り回してしまうのであれば、見苦しいと思われてもしかたがないと思います。
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