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[コメント] 愛情物語(1955/米)

エディの父子愛物語と見せ掛けて、実はピーターのエディプスコンプレックス克服物語かも・・・。というわけで、『愛情物語』は秀逸な邦題だと思った。が、しかし、僕はあまり泣けなかった。女性の方が素直に感情移入して泣けるのでは・・・。なぜなら→
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







僕は、幼い頃に両親が離婚し父親が親権を持つも、親戚に預けられて父とも母とも一緒に過ごせなかった、という幼少体験を持つ。 故にこの映画を彼女から薦められたときに、「さぞ共感できるだろう」と期待して観た。 結果、全く泣けなかった。むしろ、女性の方が素直に観れて感動できる映画なんじゃないだろうか。

息子ピーターと、たまにしか会いに来ない父エディとの間に父子愛は育たない。 マージョリーが結婚式の夜にエディに話したように、愛情表現の手段として物を送ったとしても、愛は育たないし深まらない。それは息子ピーターとの関係でも同じだ。

初めてピーターと会ったエディ。よそよそしい関係。 戦後、久々に再開した親子。

微妙なすれ違いから二人の距離を一気に縮めたものは、二人に共通するピアノ、音楽か。

確かに・・・。でも、それだけじゃない。

肝心なものは、周囲の人の自分の父親に対する態度だった、と僕は思う。 ピーターが大好きなチキータが父を認めた・・・。 初めて招かれた父のコンサートで周囲の聴衆が父を崇めた・・・。 ピーターは徐々に父の偉大さに気付かされ、尊敬から父への愛情に変化していったんだと思う。

僕と父との関係は、最後まで溝が埋まらなかった。 僕は父に「大好きだ」と最後まで言えなかった。 父を目の前にしては。

でも、父と一度だけキャッチボールをしたことがあって、今でもはっきり覚えてる。 僕はグローブを持ってなくて、二人で新品のグローブを買いに行った。 僕の父は左利きで、僕とはグローブの形が違った。 父は使い古しの左利き用のグローブを残して、またいなくなった。 僕は新品のグローブより、父の使い古した左利き用のグローブを使いたくて、 こっそり左投げの練習をした。

他者から尊敬されることのない父親と僕との間の溝は、なかなか縮めるきっかけを持てず、今もそのまま。

ピーターとエディを羨ましいと思った。

ちなみに、エディプスコンプレックスとは(女性の場合はエレクトラコンプレックスになる)ギリシャ神話のエディプスの神話に由来する。 子供は小さい頃異性の親に愛されたいと思う。 男の子の場合はお母さんに愛されたいと思うもの。 「僕(私)、大きくなったらお母さん(お父さん)と結婚する。」というのはその現れ。 でも僕(ピーター)が大好きなお母さん(の代わりのチキータ)の愛を勝ち取るには、 宿敵がいる。その恋敵というのは、お父さん、そう、エディ。 初恋が親子の三角関係。

チキータを手に入れるにはエディが邪魔で仕方ない。憎悪を抱くんだけどそれと同時に大好きなエディを心から憎めない、エディにも愛されたいという思いも同時に抱く。 この葛藤がエディプスコンプレックス。

それに勝利するか敗北するかの葛藤の中で、その後の成長や人間関係のパターンが作られていく。

この物語は、ピーターのエディプスコンプレックスを経た成長の物語としての側面も強く持ってる、と僕は思ったわけだ。

僕は『パトリオット』の方が泣けた。

男は、父と息子の話よりも父と娘の話の方が純粋な親子物として観れるからだと思う。

そう考えると、女性は母と娘の話には感情移入しにくいのでは? 穿った物の見方か?

長文失礼。

(評価:★3)

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