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[コメント] 寝ても覚めても(2018/日)

まず、画面造型の特徴から思い返していくと、冒頭は、爆竹をからめた高速度撮影のケレン味に目がいってしまうけれど、それ以上にエスカレータでの、東出昌大−麦(ばく)の背中と、唐田えりか−朝子の正面カットの切り返し、特に、唐田の正面、やゝ俯瞰のカットには唸ってしまった。なんと端正かつ力強い繋ぎだろう。
ゑぎ

 唐田一人の正面カットでは、麦と決別する東北の防潮堤の場面でも再現され、こゝはさらに強いカットになっている。また、前後するが、前半で麦がパンを買いに行くと言って出ていく部分。残された皆をドリーで引きながら(後退移動しながら)映す正面カットも異様にキャッチーだ。これは、麦の「見た目」を装いながら、観客はカメラの視点(作り手の意図的な演出)であることを意識せずにはいられない、映画的な恐るべき不穏なカットなのである。

 続いて視点の高低について。冒頭エスカレータのシーンも既にそうだが、高低に自覚的な演出が多々ある。オートバイ事故現場の俯瞰。渡辺大知−岡崎がベランダから、家の前で抱き合う東出と唐田を見下ろす場面。ビルの非常階段で煙草を吸う東出と瀬戸康史−串橋。階下(地上)のカフェの前の唐田の俯瞰。東北へ向かう(帰ってくる)車を映す高速道路の大俯瞰。そして、天の川(淀川の支流と紹介される。交野市辺り)の川べりを駈ける男女のロングショット。さらに面白いのは、クダンの防潮堤の場面やラストカットで示される、高所にいる人物の、正面からのカメラの視点だ。見ている最中にカメラポジションを気にする観客は少数かも知れないが、しかしそれでも、カメラの視点に、ある種の不思議さ、不安感、現実を超えるものを感じるのではないだろうか。

 さて、プロットに関して云っても、タイトルの示す通り、夢と現(うつつ)についての映画であり、観客は、果たしてこれは現実なのか、不思議な感覚をずっと持ち続ける仕掛けがなされている。極めつけは麦の再登場で、こゝはとても怖い、恐怖映画のような演出だが、朝子の幻視・妄想(夢)だと思い、ホッとしていると、再々登場に唖然とさせられてしまうのだ。「高速降りた?」という科白の反復も同様の仕掛けの一つだろう。

 もう一つ。本作は卓越した猫映画である。特に、後半の猫の所作表情は素晴らしい。

#備忘。猫の名前、ジンタン。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)なつめ[*] ぽんしゅう[*] サイモン64[*] 濡れ鼠 pinkmoon[*]

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