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[コメント] ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019/米)

冒頭近くのインタビューシーン。西部劇のセット。酒場かなんかの前の通路で、俳優・レオナルド・ディカプリオと、そのスタントダブルであるブラッド・ピットがインタビューされる設定なのだが、まず、この場面に違和感を覚える。
ゑぎ

 というのも、これはテレビのインタビュー番組(もしくは、バラエティショーの1コーナー)の設定に私には見えたのだが、ディカプリオとピットの2ショットと、インタビュアー(スペンサー・ギャレット)の切り返し(リバースショット)、そのいずれにも、スタフが一人も映っていないのだ。意図的にカメラ(撮影者)の存在が消されている。

 これに近い違和感は、前半の西部劇ドラマ「対決ランサー牧場」製作シーケンスにも感じられる。この部分は、とても当時のテレビドラマとは思えない、映画レベルのクォリティで、そのこと自体にも違和感を覚えるが、さらに、ドラマの大部分は、編集後(ポストプロダクション後)のほゞ完成品状態なのだ。決して撮影風景ではない。ディカプリオが、科白をトチって、リテイクする部分だけは、撮影風景に近いが、こゝでは、まだ、撮影者等スタフは映らない。子役の少女トルーディ(ジュリア・バターズ)をぶん投げる場面の「OK」の後にやっと撮影風景がちょっと挿入される。

 さて、本作における時間の解体については、一見、特にタランティーノらしさ、というものは感じられず、最近ではハリウッドのみならず、世界の映画界で圧倒的に流行している、ごく普通のフラッシュバックや回想シーンによる時間錯綜しか試みられていない、とも思えるのだが、実は上に書いた違和感、それは撮影時と完成品という、2つの時間の混乱・攪拌のような試みであって、これも時間の解体と考えられるように思う。しかも、これぞ、映画のエッセンスと云うべき、虚構あるいは御伽噺あるいは魔法の暴露だろう。

 実は、私は本作の前半は、イマイチじゃないかと思いながら見た。撮影者を隠蔽する違和感も、頭の体操的には面白かったが、決して感嘆するような効果に繋がっている訳ではないし、もっと単純に、ゆるいエピソードが、やゝ散漫に並べられている感も拭えない。子役の少女が、とびっきりの美少女だったり(まるで、ジェニファー・コネリーの映画デビュー、Once Upon a Time in なんちゃら、を思い出させるほど。)、ブルース・リーとピットとの対決エピソード等々の目の覚めるような、良いシーンがあってもだ。

 そうこうしているうちに、スパーン映画牧場(Spahn ranch)のシーケンスが現れる。こゝで震える。この場面は抜群の緊張感なのだ。タランティーノの力量をあらためて感じ入る。逆に、もっと早くこれを出してくれよ、とも思う。いや、しかし、前半のゆるいエピソードとの対比、という効果も確かにあるのだ。このシーンと、エンディングのアクションや、あるいは、ブルース・リーを喧嘩で負かしたと云ってもよい描かれ方をするブラッド・ピットこそ、本作の主役だと私は思う。ディカプリオの見せ場も多々あるが、演出的に彼は道化役に近く、タランティーノが、よりリスペクトを持って描いているのは、スタントという映画の裏方の役割であるピットと、今は亡き新進女優シャロン・テイトだ。

 ワザと後回しにしておいたのだが、もう一つ、小さな違和感を覚えた部分があって、それは、シャロン・テート役のマーゴット・ロビーが、自分が出ている映画を映画館で見る場面だ。スクリーンに映っているのは、ロビーではなく、テート本人という(つまり、普通に『サイレンサー/破壊部隊』の一部を挿入するという)選択。この部分も、映画という御伽噺、それはカッティングの魔法である、ということを露わにした最たる部分だろう。そして同時に、映画館で映画を見る人の映画として、映画史の傑作群に連なっている。

 映画全体を通じて、近作の中でもムラのある出来だとは思うのだが、エンディングに至るまで、シャロン・テートの扱いには目頭が熱くなる。今さら云う迄もなく、映画の評価はあくまでも、極めて私的な[満足度/期待度]だ。本作に点数をつけるなら、私は最高点をつけないと気がおさまらない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (11 人)starchild akerue おーい粗茶[*] 緑雨[*] ぽんしゅう[*] けにろん[*] 週一本[*] シーチキン[*] 赤い戦車[*] DSCH[*]

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