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[コメント] パワー・オブ・ザ・ドッグ(2021/米=英=ニュージーランド=カナダ=豪)

こんなの西部劇じゃない、あるいは、隠喩が直截的過ぎて下品、と感じる部分が多々あり、やっぱり、この監督の演出は、私には合わないと再確認したのだが、そうは云っても、良い部分もあり、とりあえず、そこから書き始めよう。
ゑぎ

 まずは、主要な演者のパフォーマンスは皆見事なものなので、そこに感じ入る観客が多いことは理解できる。それに、美術・装置と照明・撮影も立派なものだ。冒頭、屋敷の中から窓外の向こうを歩くフィル−ベネディクト・カンバーバッチをとらえた横移動カットに唸る(相似のカットがラスト近くにもある)。また、この屋敷内の美術、特に階段の使い方もいい。階段上のカンバーバッチ、という構図が、映画の感情を導く演出が多々ある。さらに、夜の屋内シーンが、ことごとくローキーなのは、当時の暮らしの再現でもあるのだろうが、やはり、ローキーというのは、映画として、とても魅力的なのだと思い出させてくれる画面なのだ。そして、荒野の向こうの山というか丘陵の佇まいは、プロット上も重要だが、単純に見た目が美しく壮観だ。牧場をなめて映したロングショットもいいが、後半で出て来る、丘の望遠ショットの不穏なムードも素晴らしい。

 しかし、丘陵を縫うような道を走る自動車の大俯瞰ショット(多分ドローン撮影のショット)が何度か出て来るが、これが第一感、西部劇の景色としてそぐわず、挿入される度に、私には興覚めでした。あるいは、カウボーイを沢山映しているのに、ほゞ牧童生活の場面がないのも勿体ない。第一、カンバーバッチと、その弟ジョージ−ジェシー・プレモンスの兄弟以外の牧場の男達は、全くその他大勢としてのみ扱われており、牧童頭だとか、ヤンチャな兄ちゃん(トーマシン・マッケンジーにちょっかいを出すような)とか、普通の西部劇なら存在するであろうキャラクターが描かれないのも、それは、選択と集中、というものかも知れないが、私としては物足りなく感じるところだ。

 そして、牛の睾丸を手で摘出する、ぐらいのシーンはまだしも、紙で作った花に指を突っ込む、地面の穴に杭を突き刺す、ロープの編み目にロープを挿入する、といった、隠喩のセンスはどうだろう。このこれ見よがしさには私は辟易する。カンバーバッチが、川での水浴びの前に、BH(ブロンコ・ヘンリー)のイニシャルが刺繍された古い布をもてあそぶ場面や、ピーター−コディ・スミット=マクフィーがブロンコ・ヘンリーの鞍に優しく触れるシーン、あるいは、一本の煙草を二人で交換する場面の演出ぐらいで、とどめておけば良いのに、と思ってしまうのだ(これらもかなり淫靡な演出だが)。

 尚、上でも少し書いたが、全編に亘って、素手で触れる、触れない、あるいは素手での仕事と手のケガ、といった演出が、かなり意識的に現れる。逆説的に、手袋が重要な小道具になる。牧童たちが、手袋をしているのは当然だが、スミット=マクフィーにとっても、その母ローズ−キルステン・ダンストにとっても、手袋は大切なアイテムなのだ。手の演出の繊細さは本作の見どころだろう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)袋のうさぎ[*]

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