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[コメント] ミュンヘン(2005/米)

プライベート・ライアン』以来、凡作駄作を連発していた(と俺は思っている)スピルバーグだが、これを観て安心した。彼はまだ映画の力を信じている。
JKF

着地点を見出せない題材を熟練した技巧的演出をもって誤魔化して、深刻ぶった娯楽作に味付けしただけの作品だ、結局家族ドラマに帰結させやがって、などと一部で言われている。だが俺から言わせれば、じゃあそれ以外にどうアプローチするのが正しいんだって気がする。

映像作家として自身が作品にこめた想いを大衆に広く訴えかけるためには多くの人に観てもらわねばならないため、映画としてある一定の娯楽水準を保たねばならない。イスラエル×パレスチナ紛争がまだ解決していないのだからストーリーに蹴りをつけることは不可能だ。例え紛争が解決したとしても、スピルバーグが生きている間に「歴史上の出来事」としてこの話を映画化することは到底無理である。

そんな中で被害を受けた祖国のため報復としてテロリスト暗殺を試みた、単なる家族の長であるグループの人間もまた相手国にしてみればテロリストとなってしまう、という復讐の連鎖の物語を現代に重ね合わせる狙いを持ってあの水準で描いたんだから俺は十分に立派だと思う。

アヴナーが作戦に疑問を持つということは、イスラエル国家の否定にもつながる。その意思をユダヤ系アメリカ人のスピルバーグは『ミュンヘン』という一本の映画を媒体として表明した。『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』において大殺戮を描くことによって戦争に対するメッセージを投げかけたスピルバーグ。本作はそんな観客へ訴えかけるメッセージをより身近なものとして捉えてもらうために、家族の存在を描いたのではないかと思う。ここにスピルバーグが今の時代だからこそ観客に訴えたい想いを感じた。前述の二作のような映像のインパクトで迫る重たさはない。だが、どこか異世界、別空間として見てしまう二作より、やはり今現在の問題として考える事柄がこの『ミュンヘン』には多かった。

一人ひとりに国家間のエンドレスの対立を身近なものとして、自分自身の立場で考えてもらうことによって、この世界が変わってくれるなら・・・

彼はまだ、映画にそういう力があることを信じているのではないかと思う。ここ数年、何がしたくて作品を撮っているのか観ていて全く伝わってこないので、スピルバーグ作品に不満を抱いていたが、この作品を観て、また何年かしたらまた凄いスピルバーグ作品と出会えそうな気がした。

(評価:★4)

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