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[コメント] いまを生きる(1989/米)

キーティングに責任はない。本当は・・・
JKF

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







自殺したニールに一番の責任がある。生きていく上での責任も何も持たず、自らが命を絶ってしまったのだから・・・。

彼は、演劇をやることで自分への挑戦をし脱皮しようとしていた。しかし、彼は一番大事なところで自分への挑戦をすることが出来なかった。なぜ父親に対してのみ、自分の考えをはっきりと言うことが出来なかったのだろう。そして、何故自殺をしてしまったのだろう。結局、自殺したことによって、「死せる詩人の会」がなくなり、キーティング先生がいなくなった。全ての人が悲しむことだけにつながった。

親は大事なことに気が付いたのか?全然だった。それどころか自分たちが悪いだなんて微塵にも思っていない。ニールが親に対し反抗の姿勢を見せられなかったわけだから仕方ないのだろうか?親もやや物わかりが悪かった気がするけど。

ニールは心が弱すぎた。家出も、感情論も、ものを言うことさえも出来なかったのだから。「死せる詩人の会」を結成したり、キーティングの言うことを一番理解しているようで、キーティングに言われたことを誰よりも理解できなかった。いや、理解はしていたのかも知れない。ただやっぱり心の弱さが残りの1つのドアを開くことが出来なかった。

ある時期に特有の痛みを感じる秀作。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ころ阿弥[*]

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