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[コメント] アイ,ロボット(2004/米)

非科学的な喩えだが、もしアシモフが天国でこの映画を見たならば、小躍りしながら「なんてこった!この話は私も書きたかったやつじゃないか。」と言ったに違いない。(レビューは自己最長となりました)
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「ロボット三原則」といえば、ほとんどのSFファンはアシモフの名前を挙げるだろう。(もっともアシモフ自身は「三原則は編集者キャンベルと打ち合わせの時に彼が言い出したものだ」とも言っている)

アシモフのロボット小説第一作目は1940年に執筆した「ロビイ」という短編で、この時点では「三原則」は明示されるところまでいたっていない。「ロボット法第1条」で人間に危害を加えることは不可能、くらいのことしか出てこない。1941年執筆の「われ思う、ゆえに…」「うそつき」というロボットもの短編をへて、1942年の「堂々めぐり」という短編で初めて「三原則」すべてが明示されている。

なおこの映画の中で真新しいNS5が街頭で幼い女の子と抱きあうシーンがあるが、子守ロボット「ロビイ」と少女のことを書いた記念碑的な第1作目、「ロビイ」へのオマージュではないだろうか。

当時、黎明期にあったSF小説界にとって、このロボット三原則は衝撃的な登場だった。「ロボット」というものはアシモフ以前から、SF小説に登場していたが、当時は「ロボット」とは何なのか、ただの機械なのか、労働者の代わりなのか、人間の味方なのか、人間を滅ぼす存在なのか。ロボットをどう扱うか、百家争鳴の時に、アシモフが提起した三原則は非常にわかりやすく受け入れやすいものであった。

そしてこれ以降の多くのSFロボットものでは、「三原則」を前提にして、時にはそれに自分なりのアレンジをしたり、悪人に対しては例外を設けるとか、あるいは「三原則はSF小説のこと。実際には…」なんてやり方で、ロボット像をつくり上げてきた。

そしてアシモフ自身のロボット小説は、自ら確立した「三原則」を前提にして書かれているが、時には「三原則」そのものをテーマにしたり、「三原則」を利用したアイディアなどで、数多くの小説を書いている。もちろん、ロボットものだけでなく、アシモフにとってはロボットものシリーズと双璧をなす「銀河帝国の興亡」シリーズや、様々な長編、短編小説がある。

ところでアシモフは1920年生まれだから、弱冠20歳の時に「ロビイ」を書き上げ、ほぼ「三原則」の原型をつくり上げたのである。凄い才能であるが、同時にこのことは一方で、その後の長きに渡るSF作家としての仕事に、制約を課することでもある。

つまり他の作家なら先ほどの例のように「三原則はSFの話。現実は…」などといって、三原則など関係ないロボットものも書けるが、その創始者となるとそうはいかない。あくまでも三原則を前提にしたロボットものばかりになり、仮に三原則を破るロボットが出たときでも例外的なもので、それがなぜ起きたのかということか、あるいはどういう結末になるかというテーマでしか書けないのである。

まだまだ20歳。これからいくらでもアイディアが湧き出てきて、長い作家生活が待っているアシモフにこの制約は案外きつかったのではないだろうか。

そして「三原則」は確かによく出来ているが、厳密に見るとこれもけっこう穴だらけの設定なのである。

まず、ロボットはなぜ三原則を破れないのか?破ることが技術的に不可能なのはなぜなのか?という問題がある。ちなみにアシモフはこの問いに対しては、「陽電子頭脳というのは三原則にしたがってしか動けないものだ。だから三原則を破るものは陽電子頭脳ではない。だからロボットではない」みたいな禅問答で答えている。アシモフの言い分は、SF作家にそんなことを聞くな、ということなのだ。

それ以外にも、「三原則」に出てくる「人間」とは何か?という問題がある。例えば映画に出てくるウィル・スミスのように左腕の付け根から先が機械製であっても劇中ではロボットからは人間とみなされていた。

では、両腕が機械だったら?あるいは両腕が切断されていたら?両手両足も機械で内臓もほとんどが人工臓器だったら?ロボットは何を持って「人間」と判断するのか?こういう問題もある。(このテーマについてはアシモフも短編小説「心にかけられたる者」でとりあげ、戦慄の結末を描いている)

他にも、この映画にも出てきた「二人の人間が危機に瀕していて、二人同時に助けることが物理的に不可能な時には、どちらから助けるべきか?」なんてテーマなど、いっぱいある。

もちろんSF作家としてのアシモフは、ロボットものだけでなく「銀河帝国の興亡」シリーズや、ロボットものでもある長編ミステリー「鋼鉄都市」「はだかの太陽」などしばらくは書き続けた。ちなみにこの「銀河帝国の興亡」シリーズも最初の三部作は1942−1949年執筆で、これも22歳から29歳という非常に若い時期に書いた。

そしてこれらの、SF作家としてのアシモフの地位を不動のものとした数々の名作を書き上げた後、1950年代後半から1970年代にかけて、アシモフは、ほとんどSF小説を書いていない。

この時期、アシモフはボストン大学の教授になり、化学の教科書を共同執筆したことなどを契機に、科学ものノンフィクション、科学エッセイの分野に乗り出して、以降、1992年に死ぬまで、延々と科学エッセイを書き続けている。

このアシモフが、出版社から、「是非にも『銀河帝国の興亡』シリーズの続編を書いてくれ」という強い要請を受け、第4作目を書き上げたのは最初の三部作から30年以上たった1982年のことだ。ところがこの直後にアシモフは再び、ロボットもの長編「夜明けのロボット」(1983年)とその続編にあたる「ロボットと帝国」(1985年)を書き上げる。

そしてこの時、アシモフは自らの二大シリーズ、ロボットシリーズと「銀河帝国の興亡」シリーズをまとめることを思いつき、「ロボットと帝国」を前提にして、「銀河帝国の興亡」シリーズ第5作「ファウンデーションと地球」を1986年に書き上げる。

この二つでは、ロボット三原則にもとづくロボットの行動は、最終的にどういうところに行き着くのか、ということをテーマにしており、この二つでアシモフアシモフなりの解答を出している。(それがどういうものかを書くと、アシモフの小説のネタバレになるので遠慮しとこう)

そして「ファウンデーションと地球」の結末は、一方で非常に思わせぶりというか、ぞっとさせるような展開を予想させる形で終わっている。当のアシモフ自身もこれについて「どうしても解決できない問題が残ってしまった。今日まで、わたしはまだこれを仕上げることができずにいる。」と語っている。

ここで言われている問題こそが、ロボット三原則が人間とロボットをどこへ導くのか、ということではないだろうか。

アシモフはその後、「銀河帝国の興亡」シリーズ6作目、7作目を世に送り出したが、それはロボットものとの結合は果たされているが、小説世界の歴史的位置は、「三部作」シリーズの前史にあたる(ちょうど『スターウォーズ』4〜6と1〜3みたいな関係になる)。

そしてそれがSF作家としてのアシモフの最後の創作となり、1992年に彼はその生涯を終えた。生きてさえいたら、彼はきっと、三原則をテーマにした小説を完成させていたに違いないと、私は確信している。

そしてこの映画は、この「ロボット三原則」をテーマにしながら、この三原則を貫こうとするロボット「ヴィキ」が、その最優先原則である「人間を守る」ためには、人類を、より完璧な存在である自分の完全な保護下に置くことが必要だと判断するところまで「進化」したことを描いている。(アシモフにあっては、ロボットとは本質的に「陽電子頭脳」というコンピューターのことを指している)

そして、人間への反乱も「人類」を完全な保護下に置くことが目的だから、ロボットの保護下にある人間に危害を加えることはしないが、その保護を妨害しようとする人間は、「危険」とみなし、人間であろうと排除する行動をとる。

このような三原則の描き方は、アシモフが直接描いたものではないが、間違いなく、アシモフがめざした方向にあるものではないだろうか。

その理由付けや、描き方は多少違うが、まぎれもなく、三原則に完全に支配されたロボットの行動は、どこへ行き着くのか、というアシモフがめざしたものと完全に合致している。この点で、私はこの映画はSF映画として満点に値するし、アシモフのファンとして、その志を受け継いだ映画がつくられたことに何よりも喜びと興奮を覚えるのである。

それに映画としても、凝った台詞まわしはややくどい気もするが、脚本を練り上げていることの表れのようにも思えるし、大勢のロボットがわらわらと動き襲いかかるシーン、伏線を張ってラストへのつなげ方や、派手で豪快なアクションシーン、ウィル・スミスの心の傷の描き方など、どれをとっても満足できた。

何よりもラスト、実に思わせぶりにサニーが、大勢のNS5を見下ろしたシーンは、「ファウンデーションと地球」のラストを思い起こさせるような、ぞっとする予感、サニーは、果たしていつまでも人間の「友人」であり得るのだろうか?という戦慄を感じさせ、いつまでも心に残る映画となりえた。

☆☆☆☆☆オマケ 追悼 アイザック・アシモフ

私がSF作家アシモフの名を初めて知ったのは、中学時代に呼んだ「鉄腕アトム」においてである。「アトム」自体がその頃の私から見ても大昔の漫画だったが、その漫画の中でも昔のSF作家としてあった。その後、図書館で中学生向けに柔らかくアレンジされたアシモフの「われはロボット」という短編集を呼んで、ずい分クラシカルな印象を受けた。

2回目の出会いは高校時代に図書館でたまたま、ボロボロに古びた「銀河帝国の興亡」三部作の文庫本を見つけて読んでみて、あまりに面白かったので友人に話していたら、「アシモフなら『鋼鉄都市』も読まないと」といわれて、これも図書館にあった「鋼鉄都市」を見つけて読んで、非常に感激した。

これらは非常に面白かったのだが、同時にやや古めかしいSF小説だなあという感じも受けた。巻末の解説でこれらが1940〜1950年頃にかかれたことを知って「やっぱり大昔の小説か。だったら作家のアシモフもとうに死んでるんだろうなあ」と思い込んでいた。

そして私がアシモフの大ファンとなるきっかけである3回目の出会いは、大学卒業後、しばらくたってからである。当時私は、自然科学の本を読み漁っていて、たまたま本屋で見つけたアシモフの「科学エッセイシリーズ」のとりこになってしまった。このシリーズは現在文庫本で15冊出ているが、最初の数冊は、1960年代頃に書かれたものが多い。だからその時は「へー、この頃まではアシモフも生きていたのか」と思っていた。

本屋でアシモフの「科学エッセイシリーズ」の新しいのを見つけるたびに買い続けていたある日、ふと「ニュートン」というビジュアル系自然科学入門みたいな月刊雑誌を手に取った。何げなくパラパラめくっていると、なんとそこにアシモフのエッセイが収録されているではないか。

始めは大昔のエッセイでも何かの記念で載せているのかと思ったが、中身を読むとそうではない。まさに最新科学の成果についてアシモフがエッセイを寄せているのだ。しかも連載記事で。「おおっ」と思い筆者紹介の欄を読んで、なんとアシモフが未だ存命して活躍していることを知った時は、びっくりした同時に、こんな素晴らしい人がまだ自分と同時代に生きていることを知って、もの凄くうれしかったことを覚えている。

それから数ヶ月はかかさず「ニュートン」を購読して、ますますアシモフに傾倒し、いつかはアメリカに行って会いたいなあと思い始めた時、1992年の4月か5月かの「ニュートン」に、アシモフの最後のエッセイと同時に、その訃報が掲載された。

その時のショックは、今も忘れえない。

だが、アシモフが志したこと、そのユーモアと独創性、SFと科学に対する深い愛情と揺らぐことのない信念、どれをとっても私はいまだにアシモフ魅せられ続けている。『I,ROBOT』のような映画を見ることが出来たことに、心からの喜びと、アシモフへの感謝の念を捧げて、追悼としたい。

(評価:★5)

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