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[コメント] ニュースの天才(2003/米=カナダ)

下手なサスペンスものよりもハラハラした。それにヘイデン・クリステンセンの情けなさぶりもリアルというか、本当にこういう人間がいそうな気がするほどだったが、それ以上に渋く、人間としての確かさまで演じきったピーター・サースガードがよい。
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







彼らの迫真の演技だけでも十分楽しめるし、同時に改めて報道とは何かということを考えさせられる。

報道というものが大勢の人間がかかわってやられており、そのことによって誤報を防ぐ一つの根拠になっているとしても、一人の記者が徹底して虚偽をつくり上げるために、そのためのみに努力をつぎ込めば、その防止策をこうも軽々と乗り越えるものだろうか、という危うさを感じさせはした。

しかし、この事件の本質は本当にそんなところにあったのだろうか?事実でないことは報道しない、それがジャーナリズムにとって根本であることは間違いないが、果たしてそれだけで良いのだろうか?

映画の中でヘイデン演じる記者がミーティングでユーモアたっぷりにそれでいて風刺を利かせながら発言している。しかしそれはまるで、何を報道すべきかという議論の場というよりも、パーティーとまでは言わないが和やかな談笑の場での、明るい人気者が語るジョークのようであった。

もちろんこれは、映画だから多少のデフォルメもされているだろう。しかし、それが興味をひきそうだから、ということだけが記事の掲載基準になってしまっていること、その点にこそリパブリック誌が雑誌として責任を負うべき点があったのではないだろうか?

ヘイデンが言うような記事を載せることを、全否定するつもりはない。しかし、「真実」の報道であるならば、当然、それに続く記事、またその記事に関連する記事や取材がなされて当然ではなかったか。そういうことがされていれば、例え人物の写真があろうがなかろうが、このような捏造が数多く繰り返されることはなかったのではないだろうか?

例えば、共和党の若手議員がホテルで乱痴気騒ぎをした、というスクープは、ではその若手議員たちは政治家として、普段、どのようなことをしているのか、その本質に迫る追跡取材がされてこそ、仮に乱痴気騒ぎが真実であったならば、その乱痴気騒ぎの深いところへ迫ることができるのではなかったか。

しかし、このジャーナリズムはそこには進まない。とりあえずその場だけの、刺激的で興味深い「話題」が提供できればそれでよし、としていたのではないだろうか。そしてそれは、娯楽性の有無にかかわらず本質的にはエンターテイメントと変わらないのではないだろうか?

そうだからこそ、まるで、非常に良くできたパーティージョークのようなヘイデンの捏造は、よくできた「話題」の提供として、それを掲載することに何の疑問も持たれなかったのであろうし、一度掲載されてしまえば、それですべてが終わってしまうのだ。

映画の中で、捏造発覚の直接の契機がネット業界専門雑誌の追跡調査、というのはそのことを痛烈な皮肉を持って示しているように感じられた。そういう意味では非常に考えさせられた映画だった。

それにサースガードの編集長が、編集部内の雰囲気を感じとって、目に見えないだけに余計に大きなものとなった厄介さ、困難さを前にしながらも、物静かに多くを語らず冷静に事実を見据え、毅然とした態度を貫いたこと、その姿勢はやはりジャーナリストにとって必要不可欠な資質であり、最低限の信頼の保障でもあると感じさせた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)きわ ねこすけ[*]

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