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[コメント] アイランド(2005/米)

スケールの大きいアクションが連続していてけっこう見せるし、シリアスなハードSFの世界観も悪くない。2時間半の上映時間も長いと感じさせなかったし、自分にとっては大好きな部類の映画なんだが、不思議とそれほど魅力的に見えなかったのはなぜだろうか。
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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アクションシーンは非常に派手で、いったいどうやって撮ったんだとうなるようなシーンが次々に出てきてすごかったのだが、なんかザラついたような映像が、うそ臭く感じさせたせいか。

そしてハードSFとして何かが違うのだ。リアリティがないというような問題ではなく、SFとしてのテーマが薄っぺらだったのではないだろうか。

臓器移植用のクローンをつくり、それを「商品」「製品」と呼び、臓器が必要になれば当然のように処分する、というのは確かに衝撃的な設定ではある。しかし、この映画では、そういうことを当たり前のように、組織的にやっている人間たちの描き方が、実にありきたりで、単純すぎてリアルさがなかったのだ。

国防省との関係で、クローンが普通に生きて生活していることを隠す必要があるという設定は理解できるが、それでも、あの会社は、そういう法に隠れてでもクローン製造を続けるだけの「理由」、「必然性」が感じられない。

クローン人間の社会を支えるために、実はかなりの数の生身の人間、黒い服を着たりしているスタッフがいた。それらの人間たちは、当然自分たちが何をやっているか、知りぬいた上で働いているのだろう。生まれたばかりの赤ん坊を取り上げると、ごく自然にその母親を「処分」する看護婦がいた。彼女は何を考えてそういう仕事をしているのだろうか。

逃げたクローンたちに最初に真実を教えた生身の人間が彼らに言う台詞の中に、「自分の食べる牛は見たくない」、「人間は生きるためならどんなことだってする」というのがあった。この台詞こそがハードSFとしてのこの映画の骨格になるべきではなかったか。そういうような思い入れが、クローンを作る側にいる人間たちに見られないから、多分、物足りないのだ。

例えば、ラスト、見渡す限りのアメリカの赤い荒野に白い服を着たクローンたちが、初めて見る光景につられるように地上に広がっていった。

しかし、クローンたちは、本当にこれで救われたのか?「地上に出てきても、君らは商品であることにはかわりがない。言ってみれば逃げた牛に過ぎないのだ」と思わせるような、そうはっきりと明示しなくてもいい、そう思わせるような何かを、加えてほしかった。そうしてこそ、戦慄のハードSFとして完成するのではないだろうか。

ただ、最後の方で黒人の警備会社のボスが、アフリカの象牙海岸と烙印のことを話すシーンがあった。そしてラスト、地上に出たクローンたちに混じって彼の姿もあって、その時に「クローンたちの中に黒人がいただろうか?」とハッとさせられたが、よく思い出せば、最初に殺されるクローンは黒人のアメフト選手のクローンだった。しかし、黒人のクローンは記憶にある限りでは彼一人だったような気もする。この辺をもっとすっきり残酷に描いて見せれば、ハードSFとしての本領を発揮できたろうに。

アクション映画としても、ハードSFとしても、なにかこう物足りなさを感じさせる、惜しい映画だった。

あと、事前の宣伝で臓器移植用クローンが逃亡、そして追跡アクションへというのが徹底していて、なんかネタバレ宣伝じゃないかなと思ったが、見た感じでは、その衝撃の真実、というよりも派手なアクションがメインの映画という位置付けだからかまわない、ということなのだろうか。

(評価:★4)

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