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[コメント] 劔岳 点の記(2008/日)

近来、稀に見る謙譲の映画。強固な意志を内に秘めながらも、全編にわたって控え目な映画は、そのラストで激しく心を揺さぶった。
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







美しい山の光景はそれだけでも見ただけの価値があるなあと思わせるに十分なものだが、それを巧みな撮影技術で魅せて一段と映画らしくしている。

だがそれ以上に、淡々と測量と登山に挑み続ける登場人物たちの姿は静かな感動を呼び起こす。

思えば、この映画は極端と言ってもいいほどに謙譲であることに徹している。

登山の映画であるにもかかわらず、ハラハラさせるシーンはほとんどなく、しかも誰一人死なない。山岳会の登山隊も膝に不調が出てきたメンバーは下山させる。測量隊は雪崩にあったり、岩壁から落ちることはあるものの、命にかかわるようなシーンは一切ない。

それに最近の映画では珍しく、女優が出てこない。宮崎あおい以外にはこれといったシーンや台詞もなく、ひたすら男ばかりが出てくる。(ただ彼女の可愛らしさだけは特記したい)

そしてようやく成し遂げた登頂も、行者の錫杖の飾りを見つけてしまい初登頂でない事を明らかにし、測量を命じた陸軍上層部からは「なかったことにできんのか」とまで言われてしまう。

千年も昔のものなら、それこそそちらを「なかったことに」しそうなものだが、けしてそれをしない。行者の示唆に助けられて登頂したことを忘れず、その功績を称える。

だが、互いに競い合って山を目指すものたちには初登頂であったかどうかなど関係ないのだ。そのことを率直に認め合ったラストの手旗信号のシーンと、それに続くきわめて控え目なスタッフロールは、ひときわ大きく心を動かす。

淡々と進む山ばかりの映画のなかで、人も死なずに女優も出てこない、控え目に控え目に進んできた映画の、その謙譲の底に太く脈打つ、美しい山と自然、そしてそれに素直に対峙する人の営みへの、限りない愛情が強い共感を呼んだ。

映画を見終わった帰り道、本屋によって原作を購入した。できることなら私も、この映画に携わったすべての人たちのようになりたいものだと願って。

<追記>

映画を見終わった一週間後に、原作の新田次郎著「劔岳 <点の記>」を読み終えた。映画と比較すると、ほぼ原作通りの筋道で映画が撮られているが、分量の関係もあってばっさり削られたエピソードや登場人物の設定の違いなどがある。

原作では「修験道」についてかなり力を入れている面もあるし、また長次郎の息子は小説には登場しないし生田信はこの時は未婚であった。また、劔岳登頂に挑む山岳会メンバーは新潟支部の面々で、柴崎と小島が劔岳で出会うシーンは小説にはない。

そして最大の違いは、ラストにある劔岳山頂にいる山岳会とそれを観測していた柴崎らとの手旗信号のシーンである。

小説には、劔岳登頂後に、山岳会の小島から電報をうけとったことは記述されている。そして映画にある柴崎らが劔岳山頂にいる山岳会メンバーに送った手旗信号によるメッセージはその内容も含めてすべてが映画のオリジナルである。

このことを知って、なおいっそうのこと映画の簡素のスタッフロールの誠実さが浮かび上がる。

また私が読んだ文春文庫による原作小説には、作者・新田次郎氏による柴崎らの業績についての取材の様子や、また執筆のために劔岳に登頂した様子などを記した「越中劔岳を見詰めながら」も収録されており、こちらも一読の価値がある文章だった。

(評価:★5)

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