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[コメント] それでも恋するバルセロナ(2008/スペイン=米)

観客に見せたいものだけを好きなように撮る、というウディ・アレンのすっきりした姿勢は、辛らつな皮肉を時に「悪意」に見せる。しかし、その「悪意」にいささか後ろめたい快感を覚えてしまう。
シーチキン

ヴィッキーが婚約者とその友人夫妻と4人で新居がどうこう話しているシーンの、10万ドルのペルシャ絨毯のジョークは、タイトルだけで後の台詞はぶった切って物憂げな彼女のシーンで終わった。そういう演出だとはわかっていても、このジョークは本筋と関係ないから切るねと言わんばかりのやりようにも見えてしまった。

それに主要な登場人物たちの、そろいもそろってまるで霞を食って生きる仙人みたいに見事なまでに浮世離れした生活というか、日々のたつきのことなど一切お構いなしの暮らしぶりにはいささか唖然とさせられるが、それだからこそ浮き彫りになったものがあるように思える。

「ヨーロッパ対アメリカ」という図式というか、深遠なヨーロッパの精神主義と合理的なアメリカの即物主義の、それぞれを適度におちょくっているというか、けなしているというか。

まあ、そういう「悪意」に「どうせわれわれ下賎の者は溜飲をさげるのさ」と、いささかやっかみ半分の喝采めいたものを感じるのだ。

冷静に考えればただのメロドラマのような気もするのだが、それをいかにももったいぶって撮りあげたウディ・アレンの手腕だけは相変わらず冴えているということかな。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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