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[コメント] 一枚のハガキ(2011/日)

数十年たっても言いたいことがある、その思いをがっちりと自らの人生の土台にすえるとともに、その言いたいことをきちんと娯楽映画として言えるというのはたいしたものだと思う。監督の人生の歩みを偲ばせる貫禄の一本。
シーチキン

これを田舎の町の自主上映会のような企画で見た。観客は映画に描かれた時代を生き抜いてきたようなお年寄りが多く、その割には上映中に携帯が鳴ったりしておおらかな上映会だ。そして時折、笑いやざわめきが起きる。出征シーンや大竹しのぶ柄本明が千歯で稲をすいているシーンとか、義父の葬式で丸い棺おけのシーン、水桶をかついで歩くシーン、稲踏みのシーン、いずれも「あー、あったあった」「やったねぇ」とかそんな声がもれた。

帰り際のお年寄りたちの感想はおおむね好評だったらしく「いい映画だったね」、「大竹しのぶはうまいね」とかそんな話が聞かれた。

これってすごいことじゃないのか。

あれだけ監督の思い、言いたいことをストレートにぶちまけるような映画でありながら、肩がこらずに時折笑いながら見ることができ、しかも同時代を生きてきた人の共感を自然に呼び起こす。

自分はこのことが言いたいというのは、良い映画にとってきっと必要なことなのだろうが、それだけあっても良い映画にはならない。それを観る者にどう受け取られるかが大事なのだと思う。

新藤兼人監督にとっては死ぬ間際に撮り上げた遺作となったが、きっと監督はこれが遺作とは思っていなかったのではないか。もっと撮りたい、もっと言いたいことがある、それを「映画」として、こんなふうに撮ってみたい、と思い続けていたのではないだろうか。そうだからこそ、戦後、70年近くを経てもなおこれだけの映画を撮れるのだと思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] 緑雨[*]

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