コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] チャップリンの殺人狂時代(1947/米)

一芸は万芸に通ず、か。それとも笑いを制するものは人心を制す、か。恐るべきチャップリン
シーチキン

なにをどうすれば観客は可笑しさを感じるのか、それを知り尽くしたチャップリンにとっては、まるで女性を手玉にとることなど、造作もないかのようであった。(映画を観るものにそう思わせるのがまた、スゴイ)

「笑いを得る」ということと「愛情を感じさせる」と間には、まるで違いがないかのようであった。

そしてさらに戦慄すべきは、この映画で描かれているものは財産奪取を目的とした女性を狙った殺人であり、またそれを通じた反戦、厭戦、ということもあったのだろうが、映画としての形式は、サスペンスだということ。

実際に、狙われる女性の側から見ればいつ殺されるか、というハラハラドキドキのサスペンスである。それを見事にコメディに仕立て上げていることに驚愕を覚える。同時にこれは、チャップリンの才能を持ってすれば、観客を魅了するサスペンスをつくることが十分可能であっても、なおチャップリンがコメディにこだわっている、ということの表れではないだろうか?

自らの生き様を笑いにくるんで人に伝える、それは、チャップリンが自ら選択した方法ではないだろうか?そこには『独裁者』などに通ずる、風刺に通じるチャップリンの意気込みが、決して一過性のものではなく、彼の人間性の奥深いところに根ざしている、ということではないだろうか?

これほど痛烈な現代への警鐘と批判を、笑いにくるんで伝えようとするチャップリンだからこそ、彼が伝えるメッセージは多くの人の心をとらえるし、また、その懐の深さを感じさせるのではないだろうか?

この点で、映画人としての、チャップリンの気概を見せつけた強烈な映画であった。自分の生き様を、自分が選んだ映画という方法で、さらに自分が選んだコメディという方法で訴えようということ、これがチャップリンの映画人としての原点ではないだろうか?

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)甘崎庵[*] 埴猪口[*] ジャイアント白田

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。