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[コメント] 来る(2018/日)

まーこれは何ですな、中島哲也監督が「多文化主義から多自然主義へ」みたいなのを聞いたか読んだかして、映画にしてみたのとちゃいますやろか。
ロープブレーク

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭、田舎の法事のシーンが見事なのに転がさない。主人公らしき人物がバトンリレーよろしく切り替わる。人物造形がキュビズム絵画のように多面性を見せる。ラストのサイキック・バトル・エンターテインメントは、ブリコラージュな祈祷によって造形される(沖縄のユタどころか、ハングル文字による「天下大将軍」「地下女将軍」まで登場する多様ぶりだ)。多視座による多様な世界のオーバーレイ(重ね合わせ)によって世界を観る多自然主義による映画なのかこれは???

なんてね。

でも、怖くないんですよ。ぼぎわんにリアリティーを付与していない。怖いのはクズな人間だぜってメッセージでもいいんですが、それってぼぎわんいなくても映画にできるんじゃない?と、こう思ってしまったのです。

昭和仮面ライダーのショッカーが、世界征服を企んでいるのに保育園を襲うのが子供心にも嘘くささを感じてしまうように、ユタのタクシー吹っ飛ばしちゃう超強敵ぼぎわんが、なんでマンションごと或いは町ごと狂気に沈めないんだろうと思ってしまう。ぼぎわんいるかもって思えないからちっとも怖くない。

だから、最後に残った印象は、ジャニーさんは強かった、というものだったんです。ウチの岡田を使うんなら、脇でも良いけど主役級のエピソードはお願いよ。それと殺しちゃうのはダメね。あと、悪い奴でもいいんだけど、悪いままで終わらせたらダメよ。みたいな申し入れが事前にあって、それで映画がこうなったという可能性もあるなあなんて勘ぐってしまったんですね。意図したあるいは中島監督の資質に起因する多自然主義を上回る、外部からの意図せざる結果としての多自然主義映画。ジャニーさん存命時代ゆえに誕生してしまった時代のあだ花映画だったりして。

だってジャニー喜多川さん、オムライス好きそうな感じだったじゃないですか。

(評価:★3)

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