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[コメント] ある子供(2005/ベルギー=仏)

「ある子供」と「ある大人」。
たわば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画の主人公が「ある子供」なら、彼が関わる大人は「ある大人」である。本来「大人」とは、子供を見守り、自ら模範を示せる人のはず。だがこの映画に出てくる「大人」のほとんどは、金の事しか考えていない。中古品をいくらで買って、いくらで売るか、儲けだけが問題であり、その出所など気にもとめない。それでも真っ当な商売をしてる者はまだいいが、盗品売買の女や、人身売買の男たちを「大人」と呼んでいいのだろうか。主人公は赤ちゃんを売るというとんでもない「子供」であるが、それを取引する「大人」の方がもっととんでもないのだ。おそらく主人公はそんな「大人」たちの姿を見て育った「ある子供」だったのではなかろうか。

「モノ」による金品のやり取りしか頭になかった主人公にとって、赤ちゃんも「モノ」にすぎなかった。だから彼が赤ちゃんを売った後、空になった乳母車を押す彼の心は軽かった。だが仲間が警察に捕まった後、彼がひきずるパンクしたスクーターは重かった。彼はここで、赤ちゃんには感じなかった罪悪感という「重さ」を、仲間がいなくなることで自覚する。今まで、人の「モノ」や「金」を盗んできた自分が、失う側の立場になることで、その気持ちを理解したのだ。なくなって辛いのは「金」よりも「絆」であることを。それは彼の恋人にしても同じだった。そしてそのことに気づいた彼らは「ある子供」から「ある大人」へ第一歩を踏み出したと言えるだろう。

では「ある子供」の定義を、仮に「人との絆よりお金の方が大事に思っている未熟な人間」とするならば、今の世の中の「大人」たちの多くは、いまだに「ある子供」のままとは言えまいか。粉飾決算をする大人、「お金を稼ぐのは悪いことですか?」と言う大人、今の世の中、金儲けだけに熱中し、人として幼さを感じてしまう人が多いように思えるのだ。(無論私もそうなのだが・・・)この映画に出てくる「大人」もまた、未熟なまま成長してしまった「ある子供」なのではないだろうか。タイトルの「ある子供」とは、そんな未成熟な「大人」によって成り立っている「未熟な社会」のことでもあるのかもしれない。いつしか我々は自分たちの利益ばかりを優先し、家族や隣人、そして社会に対し無関心になってしまった。そんな社会こそが「ある子供」を育てる土壌になっているのだ。社会が悪いと嘆くよりも、「ある大人」である我々一人一人の意識が成熟しなければ「ある子供」の連鎖はなくならないのではないか。映画を観ながらそんな事を考えさせられた。

ラストシーンで「絆」を取り戻した「子供」たち。そんな彼らは、映画に出てきたどの「大人」たちよりも、「人」として輝いているように感じられた。そして「人」という字は、人と人が支え合って成り立っているのだと実感できるエンディングであった。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)デナ ぽんしゅう[*]

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