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[コメント] 東京物語(1953/日)

原節子のようになりたい。
れーじ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どっちが悪いって訳でもないんだけど。善意の、あるいは何の気なしにかけられる言葉や行動のことごとくが他人の重荷になっている。

これが痛い。効きます。もうボディーブローのように。

何だこのリアリティは。

虚構に浸る際に置き去りにしてきた筈の、一番ややこしくてめんどくさい、でも逃れることのできない現実が、この映画には溢れてる。

最期に原節子が「映画として」「本音」をぶちまけなければ、とんでもなく暗澹たる気持ちが一ヶ月は引き摺ったかもしれない。

そして、(多分そうであるがゆえに)最後まで観終えて、実は僕は原節子のようになりたい、と強く思った。

原節子が絵に描いたような善人である、というのは、多分この映画の読み方としては間違いだ。

彼女は、なるべく他者とのすれ違いをなくすために、自分を殺して、何気ない言葉で傷つけられているのを笑顔で覆い隠し――悪い言い方をすれば、人当たりの良い「善人」を装っているに過ぎない。

だからこそ、義母と一緒に寝るシーンで、彼女はあんなにも暗い顔をしているし、また義父との会話で自らの偽善に耐えられなくなって、「私、ずるいんです」と内面を吐露したのだ。

しかしそれもまた「善人」の一つのあり方なのだと思う。

互いが確固とした人格を持った個人である以上、摩擦はどうやっても避けられない。

であるなら、そこのところに関しては開き直って、別の方向で努力すればいい。

それはもしかしたら、本当の無垢で善意ある人から見れば、それは単に互いに傷つかないための、あるいは傷をむやみに広げないための、計算高いだけの偽善で狡猾な行為かもしれない。

辛い現実から目を背ける所業でもあるかもしれない。

でも、それはまた、そんな辛い現実の実態を知っているからこそできる、お互いに幸せでいようとする思いからの行動でもあるはずなのだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)林田乃丞[*] chokobo[*] TM(H19.1加入)[*] くたー[*] ジェリー[*] ぽんしゅう[*]

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